過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1981年のドラフトです。
熊本工業定時制から所沢高校定時制に転校した上でライオンズの球団職員として採用されており囲い込みが行われた上での1位指名となりました
3年目からレギュラーに定着し、ライオンズ黄金期の不動の正捕手としてベストナイン10回とゴールデングラブ賞11回を獲得しています。
2003年に引退して即監督に就任すると翌2004年にはシーズン2位ながらプレーオフを勝ち抜き、日本シリーズでもドラゴンズを破って見事に日本一に輝いています。
2007年で退任した後は韓国球界でのコーチやマリーンズの監督を経て、現在はドラゴンズのヘッドコーチを務めています。
通算1軍成績:2379試合1738安打156本塁打811打点134盗塁 打率.247
捕手として入団しますが2年目に外野手に転向すると、1985年には規定打席に到達してベストナインとゴールデングラブ賞を獲得しています。
またインコースの際どい球に対しては大袈裟な声を出して死球をアピールする場面が多く、カープの達川選手と共に珍プレーの常連となっていました。
1988年シーズ中にタイガースにトレードで移籍すると、1993年にはスワローズに移籍し、1996年限りで引退しました。
引退後はライオンズも含めた各球団のコーチを歴任しています。
通算1軍成績:1048試合583安打27本塁打239打点11盗塁 打率.270
左のサイドスローで入団5年目から1軍に定着すると、地味ながらも左のワンポイントとして黄金期のチームを支えました。
しかし1993年は杉山賢人投手の入団に伴い1軍登板が無くこの年限りで引退しています。
通算1軍成績:196試合4勝6敗-H9S 防御率4.39
地元所沢商業出身でしたが1試合の登板に留まり1989年限りで引退しています。
通算1軍成績:1試合0勝0敗-H0S 防御率4.50
ブレーブスとの競合の末に交渉権を獲得しましたが入団拒否となりました。
西武ライオンズとして初そして2021年現在で唯一の入団拒否選手となっています。
社会人に進む事が内定していたためドラフト時には入団拒否の姿勢を打ち出していましたが、年を越しての交渉の末に入団が決定しました。
1年目からリリーフとして1軍に定着すると、4年目の途中からは先発として活躍しライオンズ在籍中にはシーズンMVP1回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回を獲得します。
FA権を行使して1995年からはホークス、2000年からはジャイアンツに移籍し、2007年のベイスターズへの移籍を経て2010年にライオンズに復帰し、その年限りで引退しました。
プロ通算224勝を挙げており実働29年はNPB最長タイ記録となっています。
引退後は2015年からホークスの監督を務めています。
通算1軍成績:635試合224勝142敗3H10S 防御率3.45
球団職員として囲い込んだ伊東選手の1位指名、プロ拒否を表明していた工藤投手の強行指名など根本氏の辣腕が振るわれたドラフトとなりました。
結果的に両選手は主力バッテリーとして活躍し、金森選手、小田投手も地味ながらもチームの勝利に貢献するなどライオンズ黄金時代を支えたドラフトとなりました。

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今回は1981年のドラフトです。
1位:伊東勤選手(背番号27)
熊本工業定時制から所沢高校定時制に転校した上でライオンズの球団職員として採用されており囲い込みが行われた上での1位指名となりました
3年目からレギュラーに定着し、ライオンズ黄金期の不動の正捕手としてベストナイン10回とゴールデングラブ賞11回を獲得しています。
2003年に引退して即監督に就任すると翌2004年にはシーズン2位ながらプレーオフを勝ち抜き、日本シリーズでもドラゴンズを破って見事に日本一に輝いています。
2007年で退任した後は韓国球界でのコーチやマリーンズの監督を経て、現在はドラゴンズのヘッドコーチを務めています。
通算1軍成績:2379試合1738安打156本塁打811打点134盗塁 打率.247
2位:金森栄治選手(背番号26)
捕手として入団しますが2年目に外野手に転向すると、1985年には規定打席に到達してベストナインとゴールデングラブ賞を獲得しています。
またインコースの際どい球に対しては大袈裟な声を出して死球をアピールする場面が多く、カープの達川選手と共に珍プレーの常連となっていました。
1988年シーズ中にタイガースにトレードで移籍すると、1993年にはスワローズに移籍し、1996年限りで引退しました。
引退後はライオンズも含めた各球団のコーチを歴任しています。
通算1軍成績:1048試合583安打27本塁打239打点11盗塁 打率.270
3位:小田真也投手(背番号52)
左のサイドスローで入団5年目から1軍に定着すると、地味ながらも左のワンポイントとして黄金期のチームを支えました。
しかし1993年は杉山賢人投手の入団に伴い1軍登板が無くこの年限りで引退しています。
通算1軍成績:196試合4勝6敗-H9S 防御率4.39
4位:串原泰夫投手(背番号48)
地元所沢商業出身でしたが1試合の登板に留まり1989年限りで引退しています。
通算1軍成績:1試合0勝0敗-H0S 防御率4.50
5位:藤高俊彦投手(入団拒否)
ブレーブスとの競合の末に交渉権を獲得しましたが入団拒否となりました。
西武ライオンズとして初そして2021年現在で唯一の入団拒否選手となっています。
6位:工藤公康投手(背番号47)
社会人に進む事が内定していたためドラフト時には入団拒否の姿勢を打ち出していましたが、年を越しての交渉の末に入団が決定しました。
1年目からリリーフとして1軍に定着すると、4年目の途中からは先発として活躍しライオンズ在籍中にはシーズンMVP1回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回を獲得します。
FA権を行使して1995年からはホークス、2000年からはジャイアンツに移籍し、2007年のベイスターズへの移籍を経て2010年にライオンズに復帰し、その年限りで引退しました。
プロ通算224勝を挙げており実働29年はNPB最長タイ記録となっています。
引退後は2015年からホークスの監督を務めています。
通算1軍成績:635試合224勝142敗3H10S 防御率3.45
総括
球団職員として囲い込んだ伊東選手の1位指名、プロ拒否を表明していた工藤投手の強行指名など根本氏の辣腕が振るわれたドラフトとなりました。
結果的に両選手は主力バッテリーとして活躍し、金森選手、小田投手も地味ながらもチームの勝利に貢献するなどライオンズ黄金時代を支えたドラフトとなりました。
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