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FA移籍の歴史


1993年にFA制度が導入され以降多くの選手がライオンズから移籍しています。
そこで各年のライオンズに関わるFA移籍を振り返ってみたいと思います。
2015年は2選手がライオンズから移籍しました。

片岡治大選手


片岡治大選手​持ち味の俊足でリードオフマンとして活躍しライオンズ在籍時には盗塁王4回、最多安打1回、ベストナイン1回を獲得しました。
2013年シーズンは故障で離脱したものの終盤に復帰しチームの快進撃を牽引する活躍を見せたためファンも残留を望む声が多かったですが、FA権を行使して巨人に移籍しました。
2009年のWBCに参加した際の指揮官だった原監督片岡選手の俊足に惚れ込んでおり、FA権を取得したこの年に獲得に動いたという背景があったようです。

移籍後は打率は低いものの2年連続で20盗塁以上を決める活躍を見せました。
しかし2016年からは膝の故障で出場機会を減らしていき2017年限りで引退しています。
現在は巨人でコーチと務めています。

片岡選手移籍に伴う補償としては脇谷亮太選手を獲得しました。
獲得に対してファンから疑問の声も上がりましたが移籍後は一定の活躍を見せました。

涌井秀章投手


涌井秀章投手松坂投手移籍後のエースとして活躍しライオンズ在籍時には沢村賞1回、最多勝2回、ゴールデングラブ賞2回を獲得しました。
しかし2012年は開幕から低迷するとクローザーとして起用され30セーブを記録し、2013年も開幕は先発復帰したもののやはり結果を残せず中盤からはリリーフ起用されていました。
その状況の中で先発としての出場機会を求めてFA権を行使し、元恩師である伊東監督が率いるロッテへと移籍しました。

移籍後は先発として復活し最多勝を1回獲得し、2020年にトレード移籍した楽天でも最多勝を獲得するなど現在でも現役として活躍しています。

涌井投手移籍に伴う補償としては中郷大樹投手を獲得しました。
しかし不安定だったリリーフ陣を支える活躍を期待されたもののライオンズでは結果を残す事ができず2015年限りで退団しています。

総括


片岡選手はFA宣言した時点では残留の可能性も示唆していたため移籍が決定した際にはショックが大きかった記憶があります。
しかし空いたセカンドの穴は浅村栄斗選手が埋めてくれました。

一方で涌井投手にはついてはもちろん残留して欲しかったですが、当時の状態ではライオンズでの先発起用は難しかったため移籍も仕方ないという思いもありました。
しかし移籍後の先発としての復活を見ると交渉の仕方や起用法などもう少し考える余地があったのではないかと思ってしまいます。


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