経歴
佐藤隆彦選手は2003年ドラフト7巡目で入団しました。
大学卒業後はマイナーリーグでのプレーを経験し、帰国後にライオンズ入団テストを受けた上での指名でした。
登録名のG.G.佐藤は子供時代にジジくさいと言われたことが由来のようです。
入団後3年は捕手→内野手→外野手とポジションを変更しますが1軍定着できませんでした。
しかし2007年にライトのレギュラーを獲得すると、以降はタイトル獲得は無かったものの持ち前のパワーを発揮して主に5番打者として活躍します。
しかし2010年は成績が低迷すると出場機会を減らし、翌2011年は一度も1軍出場を果たせずに退団となりました。
これはマイナーリーグの厳しい環境を経験した影響で毎年のように契約更改で揉めていたため、成績が下降してきた際に早めに見切りをつけられた可能性もありそうです。
翌年はイタリアでのプレーも経験し、2013年にロッテでNPB復帰した後、2014年限りで引退しています。
パフォーマンス
佐藤選手といえばお立ち台でのマイクパフォーマンスが有名でした。
自身に愛の波動砲というキャッチフレーズをつけ、「キモティー!」と叫ぶなどのパフォーマンスで人気を博しました。
北京オリンピック
そして佐藤選手といえば北京オリンピック出場時のエラーがクローズアップされてしまいます。
ライオンズファンとしては佐藤選手がバッシングを受けるのを辛く感じていましたし、オリンピック後のNPBで変わらず活躍する姿を見て安心しました。
引退後は自身もテレビなどでネタにするなど立ち直っているような印象を受けました。
しかし東京オリンピックで韓国戦に勝利した際に号泣した姿を見て、本人も気づかないところでまだ吹っ切れていないほどの辛い出来事だったのだなと改めて感じました。
引退後
引退後は実父の経営する会社に入社し、社の軟式野球部にも所属したようです。
またテレビ出演などのタレント活動も行なっています。
退団時の経緯からライオンズとは距離を置いているインスタでしたが最近はSNS等でライオンズに触れる事も増えてきたため、試合時のイベント等で登場する事もあるのではと期待しています。

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