IMG_1565

FA移籍の歴史


1993年にFA制度が導入され以降多くの選手がライオンズから移籍しています。
そこで各年のライオンズに関わるFA移籍を振り返ってみたいと思います。
2015年は1選手がライオンズから移籍し、1選手を獲得しました。

脇谷亮太選手


脇谷選手は2013年オフに巨人へFA移籍した片岡治大選手の人的補償としてライオンズに加入しました。
その際に多くのスター選手が着けてきた背番号7を与えられた事からファんからはあまり歓迎されていたとは言えませんでしたが、当時は打線が低迷していた事もあり地味ながらも主力として活躍を見せました。

しかし兄貴分の高橋由伸選手が引退し巨人の新監督に就任した事から2015年オフにFA権を行使して古巣巨人に復帰し、史上初となる人的補償移籍経験者のFA移籍選手となりました。
なお脇谷選手はCランクだったため移籍に伴う補償は発生していません。

移籍後は結果を残す事が出来ず2018年限りで引退しています。
なお代打で出場したファームでの公式戦最終打席では申告敬遠を受けています。

木村昇吾選手


木村選手は2002年ドラフト11巡目で横浜に入団し、2007年オフに広島に移籍しました。
広島では複数ポジションを守れるユーティリティプレイヤーとして活躍しましたが、2015年オフに他球団の評価も聞きたいとに理由でFA権を行使します。
しかし年齢的な問題もあり木村選手の獲得に動く球団は無く、更に広島は基本的にFA宣言残留を認めない方針だった事から移籍は暗礁に乗り上げかけました。

すると2015年末にライオンズの春季キャンプにテスト生として参加する事が発表され、最終的に入団が決定しました。
背景として木村選手の行く末を案じた広島側からライオンズに獲得の打診があったようです。
なお木村選手はCランクだったため移籍に伴う補償は発生していません。

獲得の経緯はさておくと選手としてはユーティリティプレイヤーとして面白い存在だと思っていました。
しかし2016年はシーズン中に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負いオフに自由契約となり育成契約を結びました。
翌2017年はシーズン中に支配下契約を結んだものの結果を残せずこの年限りで引退しています。 

引退後は史上初となるNPB在籍選手からクリケット選手への転向を果たしています。
現在はスリランカリーグでプレーしながら最高峰となるインドリーグでのプレーを目指しているようです。

総括


脇谷選手の移籍は戦力的には大きな痛手では無かったものの予想外でしたし、古巣への復帰は少し複雑な心境になってしまいました。
またこちらも史上初となる入団テストを経て木村選手を獲得するなどライオンズのFA史の中でも異色の年だったと思います。


にほんブログ村 野球ブログ 埼玉西武ライオンズへ
↑ポチッとして頂けると嬉しいです


スポンサードリンク