過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は2000年のドラフトです。
この年限りで廃部となったプリンスホテルから逆指名で入団しました。
しかしローテーション入りやセットアッパー起用された年はあるものの制球難などで継続して結果を残せず2011年シーズン開幕前にトレードで横浜に移籍しています。
通算1軍成績:248試合18勝30敗25H6S 防御率4.98
2位:三井浩二投手(背番号29)
高校時代の1991年にもダイエーからドラフト指名されたものの入団を拒否して社会人に進み、この年にライオンズを逆指名して入団しました。
1年目から先発とリリーフで併用されると2002年からは2年連続二桁勝利を挙げています。
以降は不調に陥った時期はあるもののリリーフとして活躍しました。
2008年オフにはMLB移籍を希望して2度のポスティング申請を行いますが入札する球団は無くチームに残留します。
しかし翌2009年は結果を残す事ができずこの年限りで引退しています。
通算1軍成績:282試合36勝20敗54H1S 防御率4.45
ドラフト時は無名で更に地元埼玉の高校生投手がまだ残っていたため指名時にはネット上では大荒れとなってしまいました。
しかし3年目にはリリーフとして登板機会を増やすと4年目からは先発に定着しました。
最終的にライオンズ在籍時には4度の二桁勝利を記録するなどの活躍を見せました。
しかし2011年オフにFA権を行使し出身地福岡のソフトバンクに移籍しています。
通算1軍成績:267試合90勝65敗1H1S 防御率3.90
やはり指名時にはネット上で物議を醸しました。
しかしルーキーながら開幕スタメン入りを果たすとNPBの21世紀初ヒットを放っています。
更に2004年には1番打者に定着しチームの日本一に貢献しました。
以降も準レギュラーとして活躍し2012年限りで引退しました。
引退後はライオンズでコーチを務めています。
通算1軍成績:732試合401安打9本塁打123打点52盗塁 打率.255
高校時代は投手兼外野手でしたがプロ入り後はショートに転向しました。
すると2003年オフに松井稼頭央選手がMLBに移籍すると以降はショートのレギュラーに定着し守備面の不安はあったものの強打を武器に主に3番打者として活躍しました。
ライオンズ在籍時には最多安打1回、最高出塁率2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞3回を獲得しています。
2011年オフにはポスティングでのMLB移籍を表明しますが交渉がまとまらず、結局翌2012年オフにFA権を行使してアスレチックスに移籍しました。
しかし2年間でメジャーの舞台で出場する事ができず2015年からは日本球界に復帰しオリックスに移籍し、2019年からは巨人に在籍しています。
通算1軍成績:1863試合1899安打209本塁打974打点144盗塁 打率.294
伊東勤選手、細川亨選手、炭谷銀仁朗選手という壁に阻まれ正捕手の座は奪えなかったものの控え捕手としてチームを支えました。
2008年の日本シリーズでは決勝打に繋がる四球を選び日本一に貢献しています。
2011年限りで引退し現在は1軍のバッテリーコーチを務めています。
通算1軍成績:194試合70安打5本塁打28打点2盗塁 打率.221
プリンスホテル廃部に伴い特例で解禁から1年早く指名されました。
高校時代は強打の内野手だったものの結果を残せず2009年シーズン中にトレーで阪神に移籍しています。
通算1軍成績:151試合10安打2本塁打5打点4盗塁 打率.103
同じくプリンスホテルから特例での指名となりました。
しかし貴重な左腕として期待されたものの1軍出場の無いまま2004年限りで引退しています。
通算1軍成績:出場なし
総括
大沼投手は結果残せなかったものの三井投手は貴重な左腕としてチームを支えました。
更に3位以降の選手達も1軍に定着するなど成功ドラフトだったと思います。
また指名時のネット上での評価に反して結果を残した選手が多い事からプロのスカウトの見る目の確かさを再認識した年にもなりました。

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今回は2000年のドラフトです。
1位:大沼幸二投手(背番号25)
この年限りで廃部となったプリンスホテルから逆指名で入団しました。
しかしローテーション入りやセットアッパー起用された年はあるものの制球難などで継続して結果を残せず2011年シーズン開幕前にトレードで横浜に移籍しています。
通算1軍成績:248試合18勝30敗25H6S 防御率4.98
2位:三井浩二投手(背番号29)
高校時代の1991年にもダイエーからドラフト指名されたものの入団を拒否して社会人に進み、この年にライオンズを逆指名して入団しました。
1年目から先発とリリーフで併用されると2002年からは2年連続二桁勝利を挙げています。
以降は不調に陥った時期はあるもののリリーフとして活躍しました。
2008年オフにはMLB移籍を希望して2度のポスティング申請を行いますが入札する球団は無くチームに残留します。
しかし翌2009年は結果を残す事ができずこの年限りで引退しています。
通算1軍成績:282試合36勝20敗54H1S 防御率4.45
3位:帆足和幸投手(背番号48)
ドラフト時は無名で更に地元埼玉の高校生投手がまだ残っていたため指名時にはネット上では大荒れとなってしまいました。
しかし3年目にはリリーフとして登板機会を増やすと4年目からは先発に定着しました。
最終的にライオンズ在籍時には4度の二桁勝利を記録するなどの活躍を見せました。
しかし2011年オフにFA権を行使し出身地福岡のソフトバンクに移籍しています。
通算1軍成績:267試合90勝65敗1H1S 防御率3.90
4位:佐藤友亮選手(背番号30)
やはり指名時にはネット上で物議を醸しました。
しかしルーキーながら開幕スタメン入りを果たすとNPBの21世紀初ヒットを放っています。
更に2004年には1番打者に定着しチームの日本一に貢献しました。
以降も準レギュラーとして活躍し2012年限りで引退しました。
引退後はライオンズでコーチを務めています。
通算1軍成績:732試合401安打9本塁打123打点52盗塁 打率.255
5位:中島裕之選手(背番号56)
高校時代は投手兼外野手でしたがプロ入り後はショートに転向しました。
すると2003年オフに松井稼頭央選手がMLBに移籍すると以降はショートのレギュラーに定着し守備面の不安はあったものの強打を武器に主に3番打者として活躍しました。
ライオンズ在籍時には最多安打1回、最高出塁率2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞3回を獲得しています。
2011年オフにはポスティングでのMLB移籍を表明しますが交渉がまとまらず、結局翌2012年オフにFA権を行使してアスレチックスに移籍しました。
しかし2年間でメジャーの舞台で出場する事ができず2015年からは日本球界に復帰しオリックスに移籍し、2019年からは巨人に在籍しています。
通算1軍成績:1863試合1899安打209本塁打974打点144盗塁 打率.294
6位:野田浩輔選手(背番号46)
伊東勤選手、細川亨選手、炭谷銀仁朗選手という壁に阻まれ正捕手の座は奪えなかったものの控え捕手としてチームを支えました。
2008年の日本シリーズでは決勝打に繋がる四球を選び日本一に貢献しています。
2011年限りで引退し現在は1軍のバッテリーコーチを務めています。
通算1軍成績:194試合70安打5本塁打28打点2盗塁 打率.221
7位:水田圭介選手(背番号59)
プリンスホテル廃部に伴い特例で解禁から1年早く指名されました。
高校時代は強打の内野手だったものの結果を残せず2009年シーズン中にトレーで阪神に移籍しています。
通算1軍成績:151試合10安打2本塁打5打点4盗塁 打率.103
8位:福井強投手(背番号66)
同じくプリンスホテルから特例での指名となりました。
しかし貴重な左腕として期待されたものの1軍出場の無いまま2004年限りで引退しています。
通算1軍成績:出場なし
総括
大沼投手は結果残せなかったものの三井投手は貴重な左腕としてチームを支えました。
更に3位以降の選手達も1軍に定着するなど成功ドラフトだったと思います。
また指名時のネット上での評価に反して結果を残した選手が多い事からプロのスカウトの見る目の確かさを再認識した年にもなりました。

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