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ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には西本和人投手が着けていましたがプレーを見た記憶はありません。

背番号42を着けてプレーする姿を見た記憶のある最も古い選手はペンバートン選手です。
1997年途中に入団しましたが結果を残せず翌年限りで退団しています。

1999年にはジンター選手が着けました。
シーズン途中に入団しデビュー戦で満塁本塁打を放ったもののすぐに他球団に対策されるようになり夏場以降は1軍での出場がありませんでした。

2000年にはジェファーソン選手が着けました。
現役メジャーリーガーで左腕が苦手ながらも徐々に調子を上げていきました。
しかしイニングの途中で守備を交代させられたのが引き金となりシーズン途中での退団となってしまいました。

2001年からはカブレラ選手が着けました。
規格外のパワーを誇り加入1年目から4番として活躍しました。
ライオンズ時代にはシーズンMVP、本塁打王、打点王、最高出塁率を1回ずつ、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞1回を獲得しています。

2008年からはブラゼル選手が着けました。
打率は低いものの中軸として活躍しましたが頭部死球からの復帰の目処が立たない事から1年限りで退団となりました。

2009年は途中入団のベイリス投手が着けました。
リリーフとして期待されたものの安定感を欠きこの年限りで退団しています。

2010年からはブラウン選手が着けました。
1年目は21本塁打を放ったものの翌年は不振に陥りシーズン中に退団となりました。

2012年からはトレードで獲得した嶋重宣選手が着けました。
結果を残せず2013年限りで引退しましたがその後はコーチとして手腕を発揮しています。

2014年はレイノルズ投手が着けました。
先発として期待されましたが3勝に終わり1年で退団しています。

2015年はミゲル投手が着けました。
投げるメヒア投手として話題となり抑えとして期待されたものの全く通用せずに1年限りで退団となりました。

2016年はバスケス投手の背番号が変更となりました。
しかし前年は一定の成績を残したものの不振に陥りこの年限りで退団しています。

2017年からは途中入団のマーティン投手が着けました。
1年目はセットアッパーとしてリーグ優勝に大きく貢献しましたが翌年は制球難から不安定な投球となりシーズン終了後に退団となりました。


現役選手

日本では縁起が悪いと敬遠される番号ですがMLBでは全球団永久欠番となっている事から外国人選手に好まれる番号です。

2022年からはボー投手が着けています。
リリーフとして期待されており若くて未知数な分伸び代も大きいと思いますので日本で大きく飛躍して欲しいです。




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