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6球団目


​​​​​28日のオリックス戦に勝利した事で球団創設以来5000勝を達成しました。
NPBでは6球団目で2リーグ制以降に設立された球団では初の偉業となりました。
通算では5000勝4437敗390分で勝率.530となっています。

パリーグが設立された1950年に西鉄クリッパーズとして誕生しました。
初勝利は開幕3戦目に21-14という乱打戦を制したようです。

球団別勝利数


球団 勝率
西鉄クリッパーズ 51 67 2 .432
西鉄ライオンズ 1490
1357 125
.523
太平洋クラブライオンズ 220
266
34
.453
クラウンライターライオンズ 100
140
20 .417
(埼玉)西武ライオンズ 3139 2607 209 .546

西鉄ライオンズ時代は徐々に力をつけて3年連続日本一を達成しました。
しかし所謂黒い霧事件で主力が抜けた事で成績が低迷し球団の身売りが行われました。

西武ライオンズとなり埼玉に移転した当初も低迷が続きましたが積極的な戦力補強なども身を結び10度の日本一を達成するなど球界を代表する強豪チームとなりました。

監督別勝利数


監督 勝率
宮崎 要 51 67 2 .432
三原 脩  680  458  51 .598
川崎 徳次 151 116 9 .565
中西 太 531 541 45 .495
稲尾 和久 246 370 34 .399
江藤 慎一 58 62 10 .483
鬼頭 政一 93 149 18 .384
根本 陸夫 219 265
36
.452
広岡 達朗 295 204 21 .591
森 祗晶 673 438 59 .606
東尾 修 492 425 23 .537
伊原 春樹 187 143 3 .567
伊東 勤 287 257
5 .528
渡辺 久信 438 395 31 .526
田辺 徳雄 176 189 12 .482
辻 発彦 423 358 31 .542

西鉄時代の三原脩監督は大胆な戦術や選手起用で高い勝率を誇り三原マジックと呼ばれました。

西武となってからは広岡達朗監督管理野球を導入し就任1年目から球団初の日本一を達成するなど強豪チームに押し上げると、続く森祗晶監督がチームの黄金期を築きました。
現在の辻発彦監督も毎年のように主力選手が抜けた中で好成績を残しているためライオンズの歴史に名を残す名監督だと思います。

最多勝利数投手


球団が発足してからの勝利数は稲尾和久投手の276勝が最多です。
主力投手は先発リリーフ関係なく投げていたという時代もありますがシーズン42勝はNPB歴代最高記録となっており、1958年の日本シリーズで獅子奮迅の活躍を見せた際には神様仏様稲尾様と呼ばれました。

これに続くのは東尾修投手の251勝です。
プロ入り直後は力不足だったものの黒い霧事件の影響により登板せざるを得ない状況の中で勝つための投球術を磨いていきました。

西武ライオンズとなってからの最多勝利数は歴代3位となる西口文也投手の181勝です。
長くエースとして活躍しましたが1度の完全試合未遂、2度のノーヒットノーラン未遂だけでなく通算200勝を達成できなかったのは残念でした。

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