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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1999年のドラフトです。

1位:高山久選手(背番号1)


1位は九州学院高校の高山選手がを指名しました。
高校時代は内野を守っていましたがプロ入り後は外野手に転向します。
いきなり背番号1を与えられた期待に応え1年目から1軍でヒットを記録しますが、その後は得意の左投手が相手の際に起用される事はあるものの、守備難もありなかなか結果を残せません。
神主打法にフォームを変えた2011年には主力として初のシーズン100安打を記録しますが、以降はまた低迷し2013年シーズン途中で阪神にトレードとなってしまいました。
引退後はライオンズアカデミーのコーチを経て2016年オフよりスカウトの就任となりました。
2019年ドラフトでは期待の川野選手を担当しており、今後もライオンズの将来を担うような選手の発掘に期待したいです。

通算1軍成績:377試合227安打25本塁打108打点8盗塁 打率.250

2位:眞山龍投手(背番号24)


2位はまず田中賢介選手を指名しますが日本ハム、中日と競合し抽選を外したため、甲子園にも出場した仙台育英高校の眞山投手を指名しました。
しかしプロ入り後は1軍登板なく2005年限りで引退となってしまいした。
引退後はマネージャーとしてチームを支えています。

なおこの当時のドラフトは逆指名の絡みで1、2位指名同時入札でした。
他球団も田中選手を2位指名予定という事前情報はあったため、1位と2位を入れ替えて入札していれば交渉権獲得できたのですが、確実に高山選手を獲得したかったのだと思います。
ちなみにこの同時入札というシステムは1位クラスの選手を両獲りできる可能性がありますし、同じ選手が1位指名と2位指名で競合ということもあり得ます。
実際にこの年中日は外れ2位で高木投手を指名するも近鉄も外れ1位指名していため近鉄が交渉権を獲得しており、いろいろと問題のあったシステムだと思っています。

通算1軍成績:登板なし

3位:大島裕行選手(背番号51)


3位は地元埼玉栄高校の大島選手を指名しました。
大島選手は当時歴代最多の高校通算86本塁打を放っている大砲で、ファンも獲得を熱望していた選手でした。
2002年に初本塁打を記録すると、2003年後半には5番を打つなど96試合で打率.307、7本塁打を放ち更なる飛躍を期待されました。
しかし以降は成績は下降気味でレギュラーに定着できず2012年限りで引退となりました。

期待された長距離砲ではなくどちらかと言うと中距離バッターで大きな結果は残せませんでしたが、ゲームのキャラクターから取ったゲッチュの愛称で親しまれた選手でした。
引退後は副寮長を経た後、高山選手と同じくスカウトに就任しています。

通算1軍成績:406試合232安打23本塁打106打点3盗塁 打率.253

4位:猪爪義治投手(背番号52)


4位は隠し玉となる猪爪投手を指名しました。
高校卒業後は硬式野球チームには属さずアルバイト生活をしていた異色の選手です。
しかしプロ生活はわずか2年間のみで1軍登板なく引退となりました。
当時はファームの映像を目にする機会があまり無かったため、どのような球を投げていたのか見てみたかった選手です。

通算1軍成績:登板なし

5位:貝塚政秀選手(背番号39)


貝塚選手は即戦力の強打の捕手として指名されました。
しかし1年目から主に外野手やDHとして出場すると、外野手コンバート後の2002年には伊原監督の下、犬伏選手、宮地選手と共に先発投手に応じた日替わり3番打者として打率3割を記録し、リーグ優勝に貢献します。
さらに2004年には初の規定打席に到達し、打率.307、14本塁打、75打点の好成績で12年ぶりの日本一に貢献しました。

以降は成績が下降していき2008年限りで引退となりましたが、優勝した年に主力として活躍したため印象に残っている選手です。

通算1軍成績:333試合214安打17本塁打117打点13盗塁 打率.268

6位:青木勇人投手(背番号53)


青木投手は大学時代は準硬式野球部に所属していました。
そのため育成に時間がかかるかと思いましたが1年目から17試合に登板すると、2、3年もリリーフとして活躍し勝ち星もそれぞれ4勝ずつ記録しました。
しかし入団4年目となる2003年の近鉄戦で中村紀洋選手に与えた死球に激昂したローズ選手に突き飛ばされたむち打ちとなって以降低迷してしまいます。

すると2006年に福地選手とのトレードで広島に移籍となってしまいました。
しかし移籍後は青木投手も福地選手も一定の成績を残しており、お互いにとって良いトレードになったのではないでしょうか。

そして今年から新設された3軍コーチに就任しました。
次代を担う投手達が1軍戦力となるよう鍛え上げて欲しいものです。

通算1軍成績:210試合9勝6敗22H1S 防御率4.16

後藤光貴投手(背番号50)


後藤投手は前年1998年にも1度ライオンズに指名されています。
しかしその前にホークスが同じ大和銀行の水田投手を指名しており、ライオンズは同一社会人チームの選手を複数人指名する際に必要な了承を取っていなかったために指名無効となってしまいました。
そのためこの年のドラフトで改めて指名し1年遅れでの入団となりました。

1年目から2試合に登板すると2年目は主にリリーフとして活躍し、プロ野球史上2人目となる1球勝利でのプロ初勝利を挙げました。
さらに3年目は主に先発として7勝、4年目は初の二桁勝利となる10勝を挙げるなど順調にステップアップしますが、その翌年に故障の影響で低迷すると2005年開幕直後に巨人へとトレードとなりました。
巨人でも結果が残せずオフに金銭トレードでライオンズに復帰するも、その後は1軍登板なく2006年限りで引退となりました。

引退後はスカウトに就任しました。
既に担当した金子侑司選手などが指名されているなどの実績もあり、今後の選手発掘にも期待したいところです。

通算1軍成績:87試合23勝16敗0H0S 防御率3.79

総括


この年は残念ながら長年主力としてチームを支える選手は出てきませんでしたが、経歴や入団後のエピソード等で印象に残っている選手が多いです。
また引退後もチームに残った選手も多いため、性格面でも素晴らしい選手たちだったのかなと思っています。


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