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経歴


高木浩之選手は駒澤大学から1994年ドラフトで4位指名されました。
1年後に高木大成選手が入団したため同時期に2人の高木選手がプレーしていました。

ルーキーイヤーから1軍出場し、黄金時代のセカンドを支えた現監督の辻選手が1995年限りで退団すると出場機会を増やしていき、1997年には初の100試合超えとなる107試合に出場し打率.278を記録します。
その後は好不調の差が大きく隔年で好成績を残していきますが、2002年には130試合に出場して初めて規定打席に到達し打率.272の結果を残し、見事に二塁手としてベストナインとゴールデングラブ賞を獲得します。
以降もセカンドのレギュラーとして活躍しますが、2005年に発症した視力障害などの影響もあり出場機会が減り、2008年限りで引退となりました。

身長は172cmで、ルーキーシーズン後の南郷秋季キャンプを見に行った際も周りの選手と比べても非常に小柄であったため、当時はセカンドのレギュラーとして長く活躍してくれるとは想像できなかった記憶があります。

プレースタイル


所謂いぶし銀タイプでしぶといバッティングと堅実な守備が持ち味でした。
特に非力ながらもバットコントロールが非常に優れており、規定打席に到達した2002年には446打席で僅か26三振となかなか三振しないバッターでした。

足はさほど速くはないのですが見た目の印象から俊足のイメージを持たれており、野球中継の実況がよく「ランナーは俊足の高木!」と言っているのを聞いてほくそ笑んだものでした。

セーフティスクイズ


高木選手と言えば忘れられないプレーがあります。
具体的にいつの試合だったかの情報が出てこないのですが、2死で3塁ランナーに清水雅治選手という場面で、バッターの高木選手が見事にセーフティスクイズを決めて1点をもぎ取ります。
このプレーが実はノーサインで高木選手と清水選手のアイコンタクトだけで決めたものでした。
森監督から東尾監督に代わり若い選手へと世代交代している状況でしたが、ライオンズ伝統の選手が自主的に判断するそつのない野球はまだまだ健在だなと思ったものでした。

その後さらに選手の自主性に任せる方針となり緻密さが少し薄れてきましたが、辻監督になってからまた隙を見逃さないプレーが増えてきており嬉しく思っています。

引退後


引退後は編成部を経て今は2軍の守備走塁コーチを担当しています。
自身のような堅実なプレーのできる選手を1人でも多く育て上げて欲しいものです。






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