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メジャーに最も近い選手


ライオンズ黄金期の背番号1と言えばもちろん秋山幸二選手です。
不動の3番センターとして清原選手、デストラーデ選手AKD砲を形成し、ホームラン王1回、盗塁王1回を獲得しました。
1990年には史上初の30本塁打50盗塁を記録するなど圧倒的な身体能力を誇り、当時メジャーに最も近い選手と言われていました。
秋山選手と言えば1986年の広島との日本シリーズ第8戦でホームランを放った後のバック宙ホームインが忘れられません。当時はガッシリとしたスラッガータイプか俊足巧打の小兵選手に分かれていたイメージで、ホームランも量産する秋山選手がサラッとバック宙を決めたのには衝撃を覚えたものでした。

しかし1993年オフにライオンズファンのみならず球界を激震された世紀のトレードで秋山選手はダイエーホークスに放出され、佐々木誠選手を獲得しました。
佐々木選手も秋山選手同様身体能力に優れメジャーに最も近い選手と言われた外野手で、長打力は秋山選手に劣るものの移籍2年目には盗塁王を獲得しています。
その後も主軸としてチームを支えるも故障や若手の台頭もあり1998年オフに金銭トレードで阪神に移籍となりました。

このトレードに関しては戦力云々よりも、秋山選手と翌年FA移籍した工藤投手が勝ち癖のなかったホークス選手達を引き締め、強豪チームとなる礎となったという点で非常に大きく、ライオンズにとっては痛手だったのではないかと思っています。

なかなか出てこない後継者


1999年には新外国人のブロッサー選手が背番号1を着けます。
特にメジャーでの実績もない選手に背番号1を与えた事に驚きましたし、大事な番号なので大事にして欲しいと思った記憶があります。
球団としてはまだ若いため日本での育成も加味してとの事でしたが、34試合で3HRと全く打てずに1年で解雇となってしまいました。
なお前年まで在籍していたマルティネス選手を守備面の不安から解雇しましたが、この年は新外国人のブロッサー選手、シアンフロッコ選手、さらにシーズン途中加入のジンター選手、ポール選手の4人を合わせても前年のマルティネス選手1人のホームラン数に及ばない皮肉な結果となりました。

翌年からは高卒ドラ1ルーキーの高山久選手に背番号1が与えられます。
和製スラッガーとして期待されますが大きな結果は残せず2004年から背番号44に変更になり、さらに2013年途中に阪神にトレードとなっていました。

2003年オフにはロッテを自由契約になったフェルナンデス選手を獲得し、伊東監督の「何でもいいので1番になって欲しい(三振でも可)」という思いから背番号1が与えられます。
フェルナンデス選手は2年間主力として活躍するも自由契約となってしまいます。
その後は楽天→オリックス→西武復帰(この時は背番号52)→楽天→オリックスとNPBの球団を渡り歩いた珍しい経歴の選手でした。
どのチームでも打撃では貢献する反面、守備面が壊滅的に悪く、また右打ちの強打者の宿命とも言える併殺打の多さがネックとなったように思えます。

現役選手


現役では栗山巧選手が2007年オフに背番号52から変更されて以降背番号1を着けています。
ライオンズファンにとって説明する必要のない名選手で、非常に選球眼に優れており2008年には最多安打のタイトルを獲得しています。
若い頃から野球に対する姿勢が非常にストイックで、1人でも多くの若手選手が栗山選手から技術だけでなく野球に取り組む姿勢を学んで欲しいと願っています。

2019年シーズン終了時点で2000本安打まであと175本だったため近年のペースだと後3年くらいかかるかと思いましたが、今年も主力として活躍し10/19時点で残り84本となっています。
このまま来シーズン途中には生え抜き初の2000本安打達成の歓喜を味わいたいものです。


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