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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

黄金時代の遊撃手


黄金時代の背番号6と言えば田辺徳雄選手でした。
個性的揃いの選手達の中で地味目な存在でしたが堅実なプレーでショートのレギュラーとして活躍し、ベストナインゴールデングラブ賞を2回ずつ獲得しています。
しかし奈良原浩選手松井稼頭央選手の台頭もあり徐々に出場機会を減らすと1999年オフにジャイアンツに金銭トレードとなり、翌年限りで引退となりました。

引退後は2002年からライオンズのコーチとなり多くの若手選手を主力選手に育て上げると、2014年シーズン中に退任した伊原監督の後任として1軍監督に就任しますが、結果を残せず2016年限りで退任となりました。
元々コーチタイプでしたがチーム事情から監督となり、ファンからも厳しい声がなどなかなかつらい時期でした。

2020年からは新設された3軍統括コーチに就任しましたので、また若手野手の育成手腕を発揮してくれる事に期待しています。

変遷


2001年にはユーティリティプレイヤーの原井和也選手の背番号が6に変更になりましたが、2002年オフにマリーンズに移籍しました。

2003年には新人の後藤武敏選手に背番号6を与えられていきなり開幕で4番を打ちますが、翌年以降は成績が下降気味となり2011年オフにトレードでベイスターズに移籍となりました。

2012年からは新外国人のヘルマン選手が背番号6を着けました。
パワーは無いものの俊足とガッツ溢れるプレーで2年連続全試合出場の活躍を見せ、球団としては契約延長を希望したものの交渉がまとまらずバファローズに移籍してしまいました。

2014年はセラテリ選手、2015年はランサム選手という外国人選手が背番号6を着けますが、両選手共に結果を残せずに1年限りで退団しています。
ただしランサム選手は特徴的な応援歌が今でもネタ話題になる事があります。

2016年にはバファローズを戦力外となった竹原直隆選手に背番号6を与えられますが、やはり目立った成績は残せずに1年で自由契約となりました。
ちなみに左打右打という珍しい選手でした。

現役選手


2017年からは源田壮亮選手が背番号6を着けています。
抜群の守備力で開幕からショートで起用されると、社会人時代に9番を打つなど不安視されていた打撃面もプロの指導で改善され、最終的にフルイニング出場で新人王を獲得しました。
中島選手のポスティング移籍後に空いていたショートの穴を埋めただけでなく、その守備力でライオンズの野球自体を変えてしまったと言っても過言ではないのではでしょうか。

その後もレギュラーに定着しベストナインゴールデングラブ賞を3回ずつ獲得しています。
また2020年からはキャプテンに就任していますので、今シーズンもチームの中心として引っ張り、念願の日本一に導いて欲しいです。


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