IMG_1056
ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


1985年から2年間は来日直後の郭泰源投手が着けていました。
1988年から1990年は北村照文選手、1990年から1992年は鈴木康友選手が着けていましたがサブ的な選手という事もありプレーを見た記憶はありません。

1994年には垣内哲也選手の背番号が12に変更されました。
抜群のパワーを誇るもののなかなか殻を破れずにミカンの大器と呼ばれており、1996年には28本塁打を放ちますが以降も伸び悩みレギュラー定着はなりませんでした。

1999年には新人の柴田博之選手に背番号12が与えられました。
俊足の外野手で競馬一家出身のためシバタオーの愛称で呼ばれ、トップバッターとして期待されましたが、故障の影響で守備につくのが難しくなり、レギュラー獲得までは至りませんでした。

2004年にはファイターズを戦力外となりテスト入団した武藤潤一郎投手が着けましたが、1軍出場無く1年のみで退団しています。

2005年にはジャイアンツからトレードで移籍してきた河原純一投手が着けました。
投手不足のためローテーション入りしますが2勝11敗と大きく負け越し、以降も故障などもあり結果を残せずに2007年限りで退団しました。

2008年にはFA移籍した和田一浩選手の人的補償で獲得した岡本真也投手が着けました。
手薄だったリリーフ陣の柱として期待されましたが前年までの安定感を欠き、2009年限りで退団しています。

2010年には新人の岩尾利弘投手に与えられました。
主力として定着する事はできませんでしたが、背番号31に変更になった2015年にはリリーフとして4試合に跨っての9者連続奪三振を達成しています。
2017年の引退後はライオンズで打撃投手を務めています。

2015年からは新外国人選手の郭俊麟投手が着けました。
郭泰源投手と同じ番組を与えられた事から球団の期待の高さが伺えましたが、故障などもあり結果を残せずに2018年には背番号69に変更になり、2019年限りで退団となりました。

2018年には新外国人選手のワグナー投手が着けました。
リリーフとして36試合に登板するも安定感を欠きシーズン途中に自由契約となっています。

現役選手


2019年からは渡邉勇太朗投手に背番号12が与えられました。
地元埼玉出身で甲子園で素晴らしいピッチングを見せた事からファンの期待も高いですが、故障などもありファームでもあまり実践経験を積めていません。
しかし投げているボールの質については先輩選手からの評価は高く、内海哲也投手に指示してストイックにトレーニングに取り組んでいるようですにで、近い将来に1軍のローテーション投手として活躍してくれる事を期待しています。



スポンサードリンク