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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1991年のドラフトです。

1位:竹下潤投手(背番号28)


この年の目玉だった若田部健一投手に入札したものの抽選を外し、外れ1位で指名したのが大学で若田部投手の控えだった竹下潤投手です。
左腕不足のチーム事情から先発として期待されたものの結果を出せませんでしたが、東尾監督就任後はリリーフとして起用されて結果を残し始めます。
しかし不整脈を発症して徐々に登板機会を減らすと2003年限りで引退しました。

竹下投手といえば大敗の試合でファンサービスで登板したデストラーデ選手が作った満塁のピンチを無失点で切り抜けた試合が印象に残っています。
またイースタンリーグではノーヒットに抑えつつもエラーで出したランナーをスクイズで返してしまい、ノーヒットワンランで敗戦という珍しい記録を持っています。
なおこの試合は相手投手はノーヒットノーランで勝利しており、両先発投手がノーヒットに抑えるという現時点でNPB唯一の試合となっています。

現在はライオンズでスカウトを務めており2017年から齊藤大将投手、松本航投手、宮川哲投手、渡部健人選手と4年連続で1位指名選手を担当し、2019年は他にも浜屋将太投手、井上広輝投手、出井敏博投手も担当しているなど次世代の主力選手の獲得に貢献しています。


通算1軍成績:162試合12勝12敗-H1S 防御率4.13

2位:新谷博投手(背番号17)


​高校時代は夏の甲子園で27人目の打者に死球を与えて完全試合を逃すもノーヒットノーランを達成しています。
その実績を買われて1982年ドラフトでスワローズに2位指名されますが入団を拒否し、大学と社会人を経てこの年のドラフトでライオンズに入団しました。

スリークォーターの投球フォームで1年目から先発にリリーフにと活躍し、1994年からは3年連続で二桁勝利を記録して最優秀防御率のタイトルも1回獲得しています。
しかしその後は徐々に成績を落とすと1999年オフに戦力外となりファイターズに移籍し、2001年限りで引退しています。

現在はライオンズレディースの監督を務めています。

通算1軍成績:238試合54勝47敗-H14S 防御率3.64

3位:熊沢当緒琉選手(背番号35)


地元埼玉のスラッガーとして期待されましたが1軍出場を果たせないまま1998年限りで引退しています。
引退後はチームスタッフとして残りましたがその独自のトレーニング法などに松井稼頭央選手が傾倒し、松井選手のMLB移籍時には個人トレーナーを務めています。
また2008年から2011年まではライオンズでコーチを務めるなど、選手としての実績はないにも関わらず引退後に指導者として実績を残した選手でした。

通算1軍成績:出場なし

4位:松田和哉投手(背番号56)


1軍出場の無いまま1999年限りで引退しています。
ファームで結果を残していた時期はあったものの1軍投手陣の状態も良くタイミングが合わなかったシーズンがあったように記憶しています。

通算1軍成績:出場なし

5位:神野信哉投手(背番号63)


左腕として期待されましたがやはり1軍出場無いまま1996年限りで引退しています。

通算1軍成績:出場なし

6位:千原淳弘投手(背番号66)


垣内選手に続いて日高中津分校から2人目のプロ野球選手となりました。
しかしやはり1軍出場無く1997年限りで引退しました。

通算1軍成績:出場なし

7位:渡辺孝男選手(背番号62)


強肩が武器の捕手として1軍登録される事はあるものの伊東選手の壁は厚く1軍出場は4試合に止まり2000年限りで退団しました。
退団後はサンワード貿易でプレーしていましたが2003年にファイターズに入団し、NPB退団後に社会人でプレーした後でNPBに復帰した最初の選手になりました。
しかしファイターズでは1軍出場する事無く2004年限りで退団しています。

通算1軍成績:4試合0安打0本塁打0打点0盗塁 打率---

8位:日月鉄二選手(背番号69)



元々槍投げの選手で1988年から練習生として在籍しており、練習生制度の廃止に伴って改めてドラフトで指名されました。
しかし1軍出場は果たせずわずか1年で退団しています。

通算1軍成績:出場なし


9位:蒲谷和茂投手(背番号71)


1984年のドラフトでホエールズから指名されましたが拒否して社会人に進んでいます。
オリンピック候補になるなど有望な選手だったようですが、1988年に交通事故に遭い再起不能と言われるほどの重傷を負ってしまいます。
復活を目指して1991年にライオンズの練習生となり本ドラフトで指名されましたが、完全復活は果たせずに1年限りで引退しています。

通算1軍成績:出場なし

総括


竹下投手の指名はライオンズらしい独自ドラフトだったと思います。
それだけ左腕を欲していたのかもしれませんが結果的に成績はドラフト1位としては物足りなさを感じてしまいます。
ただし不整脈が無ければもう少し活躍できたかもしれませんし、引退後のスカウトとしての活躍は非常に目立っていると思います。


また練習生廃止の影響で大量9名を指名しましたが、1軍の戦力になったのは竹下投手、新谷投手のみで大きな戦力補強とはならなかった年でした。


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