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西武のエース


西口文也投手は1994年ドラフト3位で入団しました。
ドラゴンズが外れ1位での指名を検討したものの、西口投手がドラフト直前まで大学の入替戦があり事前接触ができなかったため別の投手の指名に切り替えたという経緯があったようです。
そのためライオンズが3位で指名できたのは幸運だったと言えるかもしれません。

1年目は米独立リーグに留学し元々の決め球であるスライダーに加えてチェンジアップを習得すると、2年目からはローテーションの軸として活躍を見せます。
細身ながら躍動感溢れる投球フォームから150km/h超の速球を投げ込み7年連続二桁勝利を挙げるなどの活躍を見せました。
一方で球質的に被本塁打が多く防御率はそれほど良くはない投手でした。

前にも書きましたが同時期に1998年ドラフトで入団した松坂大輔投手も活躍した事からファンの間でどちらがエースか論争が起こり、最終的に松坂投手日本のエース西口投手西武のエースと呼ばれました。

しかし年齢と共に球速が落ちてくると成績が下降気味となり、統一級が導入された2011年には復活を見せますが、その後は低迷し2015年限りで引退しました。
プロ通算は182勝と僅かに200勝に届かなかったのが残念でした。

28人目の呪い



敢えて書くまでもないほど有名ですが西口投手は大記録のチャンスを3度逃しています。

2002年のマリーンズ戦では9回2死までノーヒットノーランを継続していましたが、小坂選手にヒットを打たれ記録を逃しました。

2005年のジャイアンツ戦では同じく9回2死までノーノーだったものの、清水選手にソロホームランを打たれて完封まで逃してしまいました。

極め付けは2005年のイーグル戦では9回表を終えた時点で完全試合を継続していました。
しかし打線が荒れ球の一場投手を攻略できず延長に突入すると、10回表先頭打者の沖原選手にヒットを打たれてしまいました。

いずれもヒットを許したのは奇しくもその試合で28人目の打者でした。

また西口投手は日本シリーズに5回出場し7試合に登板したものの1勝もできず5連敗というNPB記録も持っており、勝負どころに弱いとも言えますが、まさに悲運のエースという投手でした。

引退後


2021年現在はライオンズで1軍投手コーチを務めています。
天才肌の選手のためどのような指導を行っているのか気になるところではありますが、若手投手の中から次代のエースを育て上げて欲しいです。


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