記憶に残る名選手

記憶に残る名選手:豊田清投手

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ドラフト3位入団


豊田清投手は同朋大学から1992年ドラフト3位でライオンズに入団しました。
1996年から1軍で先発起用されるようになると、球速はそれほど出ないものの抜群の制球力を武器にローテーションに定着し、1997年と1999年には2桁勝利を挙げています。

ストッパー転向


しかし2001年シーズン開幕後に森慎二投手が不振に陥ると、当時の東尾監督からの説得もありストッパーに転向しました。
当時その報道を目にした際には球威があるタイプではないため抑えは向かないのでは?と不安に思ったものでした。
しかしストッパー転向後は先発登板時とは打って変わって150km/hを超えるストレートとフォークを武器に投球回数を超える奪三振を奪うようになり、また気迫を前面に出すスタイルできっちりと試合を締めくくってくれました。
この時はさすが投手出身監督ならではの慧眼だなと感嘆した記憶があります。
ただこの年は8月だけで3本のサヨナラホームランを打たれチームメイトが心配するくらい落ち込んだ姿を見せたようです。

翌年からはさらに安定感抜群の内容で2年連続で最多セーブのタイトルを獲得しました。
特に2002年は57試合投げて防御率0.78と圧巻の内容でした。

その後は故障や不振などもありつつ2005年オフにFA宣言し巨人へ移籍、巨人を自由契約になった2010年オフに広島に移籍し、2011年限りで引退となりました。

全盛期の森–豊田リレーはライオンズ史上でも屈指の安定感だったと思います。
また先発でも抑えでも四球で大崩れという事がほとんどなく、豊田投手の現役時代を思い出す度に投手はやはり制球力次第だなとつくづく思ってしまいます。

引退後


引退後は巨人のコーチなどを経て今年からライオンズのコーチに就任しています。
今シーズンは課題だったリリーフ陣が整備され特に森脇投手覚醒の背景には豊田コーチの助言もあったとの事ですので、今後もライオンズが再び投手王国となれるようお願い致します。






記憶に残る名選手:高木浩之選手

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経歴


高木浩之選手は駒澤大学から1994年ドラフトで4位指名されました。
1年後に高木大成選手が入団したため同時期に2人の高木選手がプレーしていました。

ルーキーイヤーから1軍出場し、黄金時代のセカンドを支えた現監督の辻選手が1995年限りで退団すると出場機会を増やしていき、1997年には初の100試合超えとなる107試合に出場し打率.278を記録します。
その後は好不調の差が大きく隔年で好成績を残していきますが、2002年には130試合に出場して初めて規定打席に到達し打率.272の結果を残し、見事に二塁手としてベストナインとゴールデングラブ賞を獲得します。
以降もセカンドのレギュラーとして活躍しますが、2005年に発症した視力障害などの影響もあり出場機会が減り、2008年限りで引退となりました。

身長は172cmで、ルーキーシーズン後の南郷秋季キャンプを見に行った際も周りの選手と比べても非常に小柄であったため、当時はセカンドのレギュラーとして長く活躍してくれるとは想像できなかった記憶があります。

プレースタイル


所謂いぶし銀タイプでしぶといバッティングと堅実な守備が持ち味でした。
特に非力ながらもバットコントロールが非常に優れており、規定打席に到達した2002年には446打席で僅か26三振となかなか三振しないバッターでした。

足はさほど速くはないのですが見た目の印象から俊足のイメージを持たれており、野球中継の実況がよく「ランナーは俊足の高木!」と言っているのを聞いてほくそ笑んだものでした。

セーフティスクイズ


高木選手と言えば忘れられないプレーがあります。
具体的にいつの試合だったかの情報が出てこないのですが、2死で3塁ランナーに清水雅治選手という場面で、バッターの高木選手が見事にセーフティスクイズを決めて1点をもぎ取ります。
このプレーが実はノーサインで高木選手と清水選手のアイコンタクトだけで決めたものでした。
森監督から東尾監督に代わり若い選手へと世代交代している状況でしたが、ライオンズ伝統の選手が自主的に判断するそつのない野球はまだまだ健在だなと思ったものでした。

その後さらに選手の自主性に任せる方針となり緻密さが少し薄れてきましたが、辻監督になってからまた隙を見逃さないプレーが増えてきており嬉しく思っています。

引退後


引退後は編成部を経て今は2軍の守備走塁コーチを担当しています。
自身のような堅実なプレーのできる選手を1人でも多く育て上げて欲しいものです。






記憶に残る名選手:高木大成選手

経歴


高木大成選手は1995年のドラフトで慶応大学からライオンズを逆指名して入団します。
当時のライオンズは伊東勤選手が不動の正捕手として君臨していたもののベテランの域に達しており、世代交代を考える時期となっていました。
そのため高木選手は今の森選手と同じように強打の次世代正捕手というファンの期待を背負っての入団でした。

その期待に応え1年目から多くの試合で捕手として出場し、2年目以降の正捕手獲りへの期待が高まる中、打撃を活かすためのファーストにコンバートされます。
コンバート後は3番ファーストに定着し、2年連続規定打席到達とゴールデングラブ受賞で東尾ライオンズの連覇に貢献します。
松井選手、大友選手との1〜3番トリオは当時のスローガンHit!Foot!Get!の象徴であり、高木選手はレオのプリンスとして人気を博しました。

しかし以降は故障が原因で成績を落としていき、レフトにコンバート後の2003年には4試合連続ホームランを放ち復活したかに見えたものの調子は続かず、2005年限りで引退となりました。

主軸として活躍した時期は短かったですが非常に華のある選手であり、本当に怪我さえなければと思ってしまいます。

高木選手の思い出


なぜ個人的に高木選手が強く印象に残っているかというと、初めてライオンズの試合を生観戦したのが1996年4月7日の福岡ドームでのホークス戦、高木選手が初スタメンマスクを被った試合でした。

この試合で高木選手は初安打・初打点を記録、守っても2年目の西口投手をリードして見事にチームを勝利に導きました。

初めてのライオンズ戦で大興奮したのはもちろん、高木選手が放ったフェンス直撃の当たりは今でも鮮明に覚えています(確かフェン直だったはず…)
それくらい当時は正捕手として期待を寄せていましたし、忘れられない選手の1人です。

引退後


引退後はコーチ等の話もあったようですが、意外にも球団職員の道を選びます。
そして名ばかりだけではなく、ファンへの恩返しとしてファンサービスイベントを企画したり、公式サイトでファンから意見を集めたりなど新天地でも名前を目にする事が良くあります。
今後もファンと球団との架け橋として、元選手としての視点でますますのご活躍をを期待しています


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。