記憶に残る名選手

記憶に残る名選手:アレックス・カブレラ選手

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規格外


アレックス・カブレラ選手は2001年に入団するといきなりそのパワーを発揮します。
64試合で30本塁打到達というタイ記録を達成すると最終的に49本塁打を放ちましたが、これはNPB1年目の最多本塁打記録となっています。
同年に入団したマクレーン選手とのコンビはツインバズーカと呼ばれ、前年まで貧打に苦しんだ打線の問題を一気に解決する事になりました。

翌2002年は更に打棒が爆発し当時のNPBタイ記録となるシーズン55本塁打を放ち、本塁打王シーズンMVPを獲得しました。
5試合を残した段階で55本に到達したため記録更新は間違いないと思われましたが、狙いすぎたためか以降は本塁打が出ず、最終戦は1番で起用されたものの偉業達成はなりませんでした。
翌年も50本塁打を放ち史上2人目となる2年連続となる50本塁打を達成しています。

以降も驚異的なペースで本塁打を量産し、節目の本数の最速記録を多数保持しています。
また飛距離も圧倒的でドーム球場の天井直撃弾を何本も放ちました。
最終的に高年俸がネックとなり2007年に退団するまでに本塁打王1回、打点王1回、ベストナイン3回を獲得しました。
当時はローズ選手松中選手など他球団にも強打者がいたため、成績の割には個人タイトルはあまり獲得できませんでした。
それでもパワーだけで無く打率も残せるチームにとって頼りになる主砲でした。

印象的な活躍


記録の面はもちろんですが印象に残るような活躍も多かった選手です。
あっさりと凡退する打席も多い一方で、試合の流れや相手投手の調子など関係なく粉砕してしまうような本塁打も多く放っています。



特に印象に残っているのが2004年のポストシーズンで、プレーオフのファイターズ戦で逆転満塁本塁打を放っています。
そしてドラゴンズとの日本シリーズ第3戦では4回に2ランを放つと、一旦は谷繁選手の満塁本塁打で逆転されますが、7回にお返しの逆転満塁打を放ちチームの日本一に大きく貢献しました。

このような驚異的な活躍を讃えて西武ドームにカブレラ地蔵が設置されていました。
またバットを担いで背中を大きく反らせる打席内のルーティンは多くのファンや子供達が真似していたのを記憶しています。

性格的にムラっ気の多い選手でドーピング疑惑などもありましたが、記録にも記憶にも残るファンに愛された選手でした。

引退後


現在は牧場のオーナーとして和牛などを育てているようです。
また息子のラモン・カブレラ選手が今年から日本の独立リーグに入団しており、どのような活躍を見せてくれるのかにも注目したいです。


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記憶に残る名選手:大塚光二選手

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俊足巧打の外野手



大塚光二選手は1989年のドラフト3位で入団しました。
ゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男(ビビビのねずみ男)に似ている事からビビの愛称で呼ばれていました。
非常に明るいムードメーカーで、清原選手と非常に仲が良かった記憶があります。

俊足巧打の選手ですが黄金期の主力野手の壁は高くレギュラー獲りはなりませんでしたが、それでも準レギュラーとしてチームを支えました。

そして大塚選手は日本シリーズで無類の強さを誇ったシリーズ男でした。
2008年には6打数連続安打という当時のシリーズ新記録を樹立して敢闘賞を獲得しました。
そしてシリーズ通算打率.397は50打席以上立った選手の中で1位の記録となっています。

日本シリーズでの印象が強すぎて、シーズン記録を見返すとシーズン最多出場が74試合、最多安打が37安打と想像していたよりも少ないのに驚きを感じてしまいました。
それだけシリーズのインパクトが強く、忘れられない選手となっています。

現在のライオンズは2018年から2年連続でCS敗退と悔しい思いをしましたが、投手陣を整備すると同時に、大塚選手のようなポストシーズンに強い選手が出てくると流れも変えられるのではないかと思ってしまいます。

引退後


現在は母校東北福祉大で監督を務めています。
就任後もプロに選手を送り込み、チームも大学日本一の座を掴むなど結果を残しています。


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記憶に残る名選手:ドミンゴ・マルティネス選手

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東尾ライオンズの主砲


FAでジャイアンツに移籍した清原選手に代わる主砲候補として1996年オフに獲得したのがドミンゴ・マルティネス選手でした。

打撃面では期待値が高かったもののキャンプやオープン戦でファーストの守備の不安が露呈し、高木大成選手がファーストにコンバートされた一因となっています。
しかしシーズン途中から5番指名打者に固定されると打棒が爆発し、打率.305で31本塁打108打点という好成績を残してベストナインを獲得しました。
翌年も主砲として打率.283で30本塁打95打点と活躍しリーグ連覇に貢献しました。

お腹の出たぽっちゃり系の選手でしたが意外にバッティングは柔らかく、パワーと巧さを兼ね備えた選手でした。
また好成績を残す一方で性格は非常に温厚で紳士的であり、ファンからはマルちゃんの愛称で呼ばれ親しまれた選手でした。

しかし前述の守備難から2年連続で出場した日本シリーズではDHのないセリーグ主催試合では主に代打での出場に留まり、主砲を欠いたチームは日本一を逃す結果となりました。
すると球団は守れない走れない選手では日本シリーズを勝ち抜けないと判断し、1998年限りで自由契約となってしまいました。

結果的に翌年に獲得した外国人選手たちは全く打てず(しかも守れず)、日本一どころかリーグ優勝からも遠ざかるという皮肉な結果となってしまいました。
チームの貢献度やファンからの人気を考えても未だに疑問の残る判断だったと思います。



一方でマルティネス選手は翌1999年途中にジャイアンツに入団すると、守備の不安はありつつも打力を優先してレフトでも起用される試合もありました。
他の選手との併用という事もあり規定打席には到達しなかったものの相変わらずの打棒でチームの勝利に貢献し、2001年までプレーを続けました。

引退後


引退後はライオンズ在籍時代に投手コーチを務めていた森繁和コーチの縁もあり、ドラゴンズの海外スカウトに就任し、ブランコ選手ルナ選手などの獲得に貢献しています。


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記憶に残る名選手:森慎二投手

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剛腕リリーバー


森慎二投手は1996年ドラフト2位でライオンズに逆指名で入団しました。
入団当初は先発を経験したものの結果を残せずに1年目の途中からリリーフに転向します。
するとムラっ気が大きく不安定なシーズンはあったもののセットアッパーに定着し、豊田清と勝利の方程式を築いて最優秀中継ぎとのタイトルを2回獲得しました。

足を高く上げるフォームから投げる威力十分のストレートと落差の大きいフォークが持ち味で、四球や暴投も多いながらもイニング数を超える奪三振を奪いました。
最終的にNPB通算で10.4という非常に高い奪三振率を誇っています。

189cmの長身から長髪をなびかせて力投する姿は格好良かったですし、オフのテレビ番組出演時にはカラコンをつけるなどファッションにも拘りがあったようです。
また入団時には入団時の愛車はミニクーパーで、大きな身体を縮こませるようにして乗っていたようです。

2005年オフにはポスティングでタンパベイ・デビルレイズ(当時)に移籍しました。
しかし調整が遅れたままオープン戦に初登板すると3球を投げた時点で右肩を脱臼して降板し、そのまま復帰を果たせず公式戦登板が無いまま2007年に契約解除となってしまいました。
万全な状態でストレートとフォークがどれだけ通用するかを楽しみにしていただけに非常に残念に思いました。

その後2009年にBCリーグ石川に選手兼コーチ(後に監督)として入団して2013年に復帰登板を果たした後、2014年限りで引退、退団となりました。

引退後


2015年からはライオンズの投手コーチに就任しました。
入団後に故障などで伸び悩んでいた大石達也投手を指導するなど手腕を発揮していましたが、2017年シーズン中に多臓器不全で急逝し球団関係者やファンは大きなショックを受けました。
現役時代後半は怪我でまともに投げられなかった分、経験を活かしコーチとして投手陣を整備してくれる事を期待していただけに本当に悲しく、無念でなりませんでした。
今シーズンから教え子の大石氏が2軍投手コーチに就任しましたので、森コーチの分まで若手投手を育成してくれる事に期待をしています。


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記憶に残る名選手:オレステス・デストラーデ選手

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カリブの怪人


​1989年に主砲バークレオ選手が不振に陥ったため、ライオンズはシーズン中に新外国人選手としてデストラーデ選手を獲得すると、6月の加入にも関わらずいきなり32HRを放ちます。
2年目以降も主軸として活躍し、秋山選手、清原選手とのクリーンアップはAKD砲と呼ばれ、本塁打王3回、打点王2回、指名打者としてベストナイン3回を獲得しました。

眼鏡をかけたインテリっぽい風貌で、日本では短距離打者が多かったスイッチヒッターとして両打席でホームランを量産したのは衝撃でしたし、当時の外国人選手は巨漢系がほとんどだったため二桁盗塁を3回も記録した俊足にも驚きました。
またホームランを放った後の弓引きガッツポーズが格好よかったためよく真似をしていた記憶があります。

黄金期の主砲としてチームを支えたデストラーデ選手ですが、1992年オフに幼少期を過ごしたフロリダに新設されたマーリンズからのオファーを受けて退団となりました。
1年目はマーリンズの主砲として活躍するも2年目には不振に陥ってしまい、5月下旬にウェイバー公示されると以降はプレーしない状態が続きました。

すると1995年にライオンズ復帰したものの半年以上もブランクがあったために結果を残せず、シーズン途中で退団し、引退となりました。
なおこのシーズン中の大量リードされた試合で、東尾監督は8回2死からファンサービスの一環としてデストラーデ選手を投手として登板させましたが。3塁打、四球、四球でアウトを奪えずに満塁のピンチを作って降板しています。
(この満塁のピンチは竹下投手がなんとか凌いでいます)

引退後


帰国後は新設されたタンパベイ・デビルレイズ(当時)にフロント入りし、ライオンズとの業務提携にも関わっています。
それがきっかけで個人的にMLBではレイズのファンとなりました。

現在では解説者等を務めており、日本でもライオンズ関係のイベントやインタビュー等で時々目にする機会があります。
現役当時の真面目そうな雰囲気とは異なりひょうきんな一面も垣間見えて、少し意外に感じたりしています。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。