記憶に残る名選手

記憶に残る名選手:和田一浩選手

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経歴


和田一浩選手は1996年ドラフト4位で入団しました。
強打の捕手として期待されましたが伊東選手の壁は厚く打力を活かすために外野でも併用されます。
それでも2001年には次世代を担う捕手として松坂投手先発時には優先的にマスクを被るようになり、打撃でも16本塁打を放つなど飛躍のシーズンとなりました。

そして2002年に就任した伊原監督は打撃を活かすために外野に正式にコンバートします。
すると初の規定打席に到達して​​33本塁打を放つ活躍を見せると、以降は5番打者に定着しライオンズ在籍中に首位打者1回、最多安打1回、ベストナイン5回を獲得しました。

しかし2007年にFA権を取得するとオフには出身地岐阜に近いドラゴンズに移籍しました。
ベンちゃんの愛称で親しまれた選手だっただけに移籍は本当に残念でした。
ドラゴンズでも主力として活躍し2010年にはシーズンMVPを獲得します。
そして2015年に史上最年長の2000本安打を達成するとその年限りで引退となりました。

遅咲きの強打者


和田選手といえば独特のオープンスタンスが特徴的でした。
また擦ったような打球が思いのほか伸びていきスタンドインする事が多々あり、他の選手には真似のできないようなバッティング技術だったと思います。

また大卒社会人卒に加えて正捕手に伊東選手が君臨しており出場機会が限られていたため30歳時点での通算安打はわずか289本でした。
その時点で主軸に定着していたとは言えまさか2000本安打を達成できるとは思っておらず、遅咲きながらも息の長かった選手として強く印象に残っています。

引退後


引退後はコーチなどは務めておらず現在は解説等を行なっています。
人柄も良い選手だっため打撃コーチ等でまたライオンズに復帰して欲しいと願っているOBの1人です。


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記憶に残る名選手:橋本武広投手

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世紀のトレード


橋本武広投手は1989年ドラフト3位でホークスに入団しました。
しかし入団から4年間で結果を残せずにいると1993年オフの世紀のトレードでライオンズに移籍してきました。
もしかしたら社会人時代はプリンスホテル所属だった事も影響してトレード要員に含まれたのではないかと思っています。

トレード時は同じくライオンズに移籍してきた外野のレギュラーの佐々木誠選手、ホークスのエースだった村田勝喜投手に比べると地味な存在であまり名前も知られていませんでした。
しかし移籍1年目からリリーフとして22試合に登板すると、主に対左打者のワンポイント要員として翌年から7年連続で55試合以上に登板しました。
1997年には最多ホールドのタイトルを獲得しています。

東尾監督が高く評価しており1997年のリーグ優勝直前には橋本投手を胴上げ投手にすると公言していた程でした。
しかしこの年はサヨナラ勝ちで優勝が決まったため胴上げ投手にはなれず、翌1998年のリーグ連覇がかかった試合でライオンズがリードした9回に登板し無事胴上げ投手となりました。

2002年は開幕から打ち込まれるとシーズン中にタイガースにトレードとなりました。
それでも結局世紀のトレードで移籍してきた3選手の中では最も長くライオンズに在籍した選手となり、トレードで大きく花開いた選手となりました。

小柄ながらも並み居る強打者を飄々と抑えていく投球には安定感があり、左腕不足に悩む今のライオンズに最も必要なタイプの選手と言えるのではと思います。

引退後


2010年から2013年まではライオンズで投手コーチを務めました。
現在は社会人野球でコーチを務めているようです。


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記憶に残る名選手:西口文也投手

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西武のエース


西口文也投手は1994年ドラフト3位で入団しました。
ドラゴンズが外れ1位での指名を検討したものの、西口投手がドラフト直前まで大学の入替戦があり事前接触ができなかったため別の投手の指名に切り替えたという経緯があったようです。
そのためライオンズが3位で指名できたのは幸運だったと言えるかもしれません。

1年目は米独立リーグに留学し元々の決め球であるスライダーに加えてチェンジアップを習得すると、2年目からはローテーションの軸として活躍を見せます。
細身ながら躍動感溢れる投球フォームから150km/h超の速球を投げ込み7年連続二桁勝利を挙げるなどの活躍を見せました。
一方で球質的に被本塁打が多く防御率はそれほど良くはない投手でした。

前にも書きましたが同時期に1998年ドラフトで入団した松坂大輔投手も活躍した事からファンの間でどちらがエースか論争が起こり、最終的に松坂投手日本のエース西口投手西武のエースと呼ばれました。

しかし年齢と共に球速が落ちてくると成績が下降気味となり、統一級が導入された2011年には復活を見せますが、その後は低迷し2015年限りで引退しました。
プロ通算は182勝と僅かに200勝に届かなかったのが残念でした。

28人目の呪い


敢えて書くまでもないほど有名ですが西口投手は大記録のチャンスを3度逃しています。

2002年のマリーンズ戦では9回2死までノーヒットノーランを継続していましたが、小坂選手にヒットを打たれ記録を逃しました。

2005年のジャイアンツ戦では同じく9回2死までノーノーだったものの、清水選手にソロホームランを打たれて完封まで逃してしまいました。

極め付けは2005年のイーグル戦では9回表を終えた時点で完全試合を継続していました。
しかし打線が荒れ球の一場投手を攻略できず延長に突入すると、10回表先頭打者の沖原選手にヒットを打たれてしまいました。

いずれもヒットを許したのは奇しくもその試合で28人目の打者でした。

また西口投手は日本シリーズに5回出場し7試合に登板したものの1勝もできず5連敗というNPB記録も持っており、勝負どころに弱いとも言えますが、まさに悲運のエースという投手でした。

引退後


現在はライオンズで1軍投手コーチを務めています。
天才肌の選手のためどのような指導を行っているのか気になるところではありますが、若手投手の中から次代のエースを育て上げて欲しいです。


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記憶に残る名選手:アレックス・カブレラ選手

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規格外


アレックス・カブレラ選手は2001年に入団するといきなりそのパワーを発揮します。
64試合で30本塁打到達というタイ記録を達成すると最終的に49本塁打を放ちましたが、これはNPB1年目の最多本塁打記録となっています。
同年に入団したマクレーン選手とのコンビはツインバズーカと呼ばれ、前年まで貧打に苦しんだ打線の問題を一気に解決する事になりました。

翌2002年は更に打棒が爆発し当時のNPBタイ記録となるシーズン55本塁打を放ち、本塁打王シーズンMVPを獲得しました。
5試合を残した段階で55本に到達したため記録更新は間違いないと思われましたが、狙いすぎたためか以降は本塁打が出ず、最終戦は1番で起用されたものの偉業達成はなりませんでした。
翌年も50本塁打を放ち史上2人目となる2年連続となる50本塁打を達成しています。

以降も驚異的なペースで本塁打を量産し、節目の本数の最速記録を多数保持しています。
また飛距離も圧倒的でドーム球場の天井直撃弾を何本も放ちました。
最終的に高年俸がネックとなり2007年に退団するまでに本塁打王1回、打点王1回、ベストナイン3回を獲得しました。
当時はローズ選手松中選手など他球団にも強打者がいたため、成績の割には個人タイトルはあまり獲得できませんでした。
それでもパワーだけで無く打率も残せるチームにとって頼りになる主砲でした。

印象的な活躍


記録の面はもちろんですが印象に残るような活躍も多かった選手です。
あっさりと凡退する打席も多い一方で、試合の流れや相手投手の調子など関係なく粉砕してしまうような本塁打も多く放っています。



特に印象に残っているのが2004年のポストシーズンで、プレーオフのファイターズ戦で逆転満塁本塁打を放っています。
そしてドラゴンズとの日本シリーズ第3戦では4回に2ランを放つと、一旦は谷繁選手の満塁本塁打で逆転されますが、7回にお返しの逆転満塁打を放ちチームの日本一に大きく貢献しました。

このような驚異的な活躍を讃えて西武ドームにカブレラ地蔵が設置されていました。
またバットを担いで背中を大きく反らせる打席内のルーティンは多くのファンや子供達が真似していたのを記憶しています。

性格的にムラっ気の多い選手でドーピング疑惑などもありましたが、記録にも記憶にも残るファンに愛された選手でした。

引退後


現在は牧場のオーナーとして和牛などを育てているようです。
また息子のラモン・カブレラ選手が今年から日本の独立リーグに入団しており、どのような活躍を見せてくれるのかにも注目したいです。


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記憶に残る名選手:大塚光二選手

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俊足巧打の外野手



大塚光二選手は1989年のドラフト3位で入団しました。
ゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男(ビビビのねずみ男)に似ている事からビビの愛称で呼ばれていました。
非常に明るいムードメーカーで、清原選手と非常に仲が良かった記憶があります。

俊足巧打の選手ですが黄金期の主力野手の壁は高くレギュラー獲りはなりませんでしたが、それでも準レギュラーとしてチームを支えました。

そして大塚選手は日本シリーズで無類の強さを誇ったシリーズ男でした。
2008年には6打数連続安打という当時のシリーズ新記録を樹立して敢闘賞を獲得しました。
そしてシリーズ通算打率.397は50打席以上立った選手の中で1位の記録となっています。

日本シリーズでの印象が強すぎて、シーズン記録を見返すとシーズン最多出場が74試合、最多安打が37安打と想像していたよりも少ないのに驚きを感じてしまいました。
それだけシリーズのインパクトが強く、忘れられない選手となっています。

現在のライオンズは2018年から2年連続でCS敗退と悔しい思いをしましたが、投手陣を整備すると同時に、大塚選手のようなポストシーズンに強い選手が出てくると流れも変えられるのではないかと思ってしまいます。

引退後


現在は母校東北福祉大で監督を務めています。
就任後もプロに選手を送り込み、チームも大学日本一の座を掴むなど結果を残しています。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。