歴代背番号

背番号48:チームの低迷期を支えたリリーフ左腕

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には田鎖博美投手、前田耕司投手が着けていたようです。

1993年からはドラフト4位入団の黒田哲史選手が着けました。
大型内野手と期待されたものの結果を残せていませんでしたが1997年からは期待を込めて背番号2に変更となっています。

1997年からはドラフト5位入団の馬渕隆雄投手が着けました。
同朋大の先輩である豊田清投手のような活躍を期待されたましたが一軍登板の無いまま1999年限りで引退しています。

2000年は中日を戦力外となりテスト入団した井手元健一朗投手が着けました。
リリーフ左腕として期待されましたが2試合の登板に終わりこの年限りで退団しました。

2001年からはドラフト3巡目入団の帆足和幸投手が着けました。
1年目から一軍登板を果たすと2003年からは背番号34に変更され以降は先発左腕として活躍しました。

2003年には竹下潤投手の背番号が48に変更となりました。
しかしこの年は一軍登板が無くオフに引退しています。

2004年からはドラフト4巡目指名の松川誉弘投手が着けました。
高卒ながらも変化球は通用すると評されリリーフ左腕として期待されましたが故障もあり一軍登板の無いまま2007年限りで退団しています。

2008年からは高校生ドラフト4巡目指名の武隈祥太投手が着けました。
スカウトの栄養費問題で指名権が剥奪されたライオンズにとってはこの年の最上位指名選手でした。
2年目から一軍登板を果たすと2014年以降はリリーフとして活躍し、2018年からのリーグ連覇時は不調に陥ったもののそれ以前のチーム低迷期にブルペンを支えた貴重な存在でした。
2021年に復活を遂げたものの故障もあり2022年限りで引退しています。


現役選手

2023年からは今井達也投手の背番号が11から48に変更となりました。
慕っていた武隈投手の引退に伴い他の選手にこの番号を着けて欲しくないと自ら要望しての異例の背番号変更でした。
新背番号で臨んだ2023年シーズンは自身初の二桁勝利を達成しており今後もエース級のピッチングが期待されます。




背番号47:サウスポーの番号として球界に定着させた黄金期の左腕エース

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には工藤公康投手が着けていました。
黄金期の左腕エースとして先発ローテの中心として活躍しライオンズ在籍時にはシーズンMVP1回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回を獲得しています。
工藤投手の活躍により背番号47はサウスポーの番号として球界に定着しました。
しかし老朽化した球団設備の改善を訴えてたものの球団から良い返事が貰えなかった事から1994年オフにFA権を行使してダイエーに移籍してしまいました。

1995年にはドラフト5位入団の右腕である寺本比呂文投手に与えられました。
2年目に初セーブ、4年目には初勝利を挙げたものの故障もあり2001年限りで退団しました。

2002年からはドラフト自由獲得枠で獲得した細川亨選手が着けました。
打撃の弱さはあるものの強肩を武器に2004年には正捕手の座を獲得し、2006年からは背番号30に変更になりました。

2006年からは帆足和幸投手の背番号が47に変更になりました。
ローテーション左腕として二桁勝利を挙げる活躍を見せましたが2011年オフにFA権を行使してソフトバンクに移籍しています。

以降3年間は空き番でしたが2015年にはルブラン投手が着けました。
来日した際に偶然プロ野球選手だと知らなかったバラエティ番組の取材を受けた事で話題となりましたが開幕後はわずか2勝に終わりシーズン途中で自由契約となってしまいました。
ただし帰国後はMLBで一定の成績を残しただけにトノゲンの守備力があればもう少し日本でも勝てていたかもしれません。

2016年にはバンヘッケン投手が着けました。
韓国で20勝を挙げた実績はあったものの日本通用せず未勝利のままシーズン途中で自由契約となっています。

2017年にはシュリッター投手が着けました。
髭が特徴的な選手でツーシームを武器にセットアッパーとして32ホールドを挙げる活躍を見せましたが終盤戦は打たれるケースが増えたため1年限りで退団しています。

2018年からはカスティーヨ投手が着けました。
先発として一定の成績を残すと固定できていなかった抑えに転向しましたが肘の故障で離脱となってしまいました。
翌年も残留したものの肘の状態が回復せずシーズン途中で自由契約となりました。

2020年からはドラフト3位入団の松岡洸希投手が着けました。
入団当初は二軍でも不安定な投球が続いたものの徐々に結果を残し始めて更なる飛躍を期待されましたが2022年オフに現役ドラフトで日本ハムに移籍となってしまいました。


現役選手

2023年からはFA人的補償で獲得した張奕投手が着けています。
しかしセットアッパーとして期待されたものの故障で実戦から離れているため来季に向けて巻き返しを期待したいところです。




背番号46:キャラクターも愛された逆輸入スラッガー

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期頃は目立った活躍を見せた選手は着けていなかったようです。

1998年には新外国人選手のカラーラ投手が着けました。
先発として期待されたものの結果を残せずリリーフ転向しましたが1年限りで退団しています。

1999年からはダイエーから移籍してきた木村恵二投手が着けました。
リリーフとして起用されたものの目立った成績は残せず2000年限りで退団しました。

2001年からはドラフト6位入団の野田浩輔選手に与えられました。
第三捕手として一定の出場機会を得ると2004年からは背番号22に変更されています。
引退後もチームに残り現在は一軍コーチを務めています。

2004年からはドラフト7巡目入団のG.G.佐藤選手が着けました。
法政大学卒業後マイナーリーグを経ての指名と異色の経歴の選手で、捕手として指名されたものの持ち前のパワーを活かして外野のレギュラーに定着し2008年の日本一にも貢献しました。
またお立ち台での個性的なヒーローインタビューなども人気を博した選手でした。
しかしマイナーリーグのシビアな環境を経験していたため毎年のように契約更改で揉めていた事も影響したのか、成績が下降すると2011年限りで自由契約となってしまいました。

2012年からは中崎雄太投手の背番号が変更されました。
ドラフト1位で入団したものの期待に応えられておらず、サイドスローに転向したものの結局未勝利のまま2016年限りで退団しています。


現役選手

2017年からはドラフト4位で入団した鈴木将平選手が着けています。
昨年はキャリアハイの成績を残したもののまだレギュラーに定着できていません。
バットコントロールなど素質は非常に良いだけにあと少し殻を破って主力選手に成長してくれる事を期待しています。




背番号45:正捕手争いと主砲争いに敗れたドラ1捕手

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には大久保博元選手が着けていました。
1984年ドラフト1位で入団しましたが捕手としては伊東勤選手の壁を崩せず、更にスラッガーとしても後に清原和博選手が入団したため一軍定着はなりませんでした。
しかし1992年シーズン中にトレードで巨人に移籍してからは主力として活躍しました。

1993年にはトレンティーノ選手が着けました。
前年で退団したデストラーデ選手の穴を埋める活躍を期待されましたが打率1割台と低迷し1年限りで退団しています。

1994年からはドラフト2位入団の山田潤選手に与えられました。
大砲として期待されたものの目立った活躍はできず1998年オフにトレードで移籍しています。

1999年からは山田選手とのトレードで獲得した高山健一選手が着けました。
内野のバックアップとして期待されたものの出場機会を得られず2001年限りで引退しました。

2002年からは古屋剛選手の背番号が45に変更になりました。
この年はプロ初本塁打を放ったものの一軍には定着できず2004年限りで引退しています。

2005年からは水田圭介選手の背番号が変更されました。
内外野を守れるユーティリティプレイヤーでしたが結果を残せず2009年途中にトレードで移籍しています。

2009年途中からはトレードで獲得した藤田太陽投手が着けました。
不安定なリリーフ陣の中でセットアッパーとして活躍しましたが故障や危険球退場の影響から精彩を欠くようになり2012年限りで退団しています。

2013年からは林崎遼選手の背番号が変更されました。
故障もあり翌年オフに育成契約となりましたが2015年シーズン中に支配下登録され再び背番号45を着けました。
しかし結果を残せず同年限りで退団しています。


現役選手

2016年からはドラフト6位で入団した本田圭佑投手が着けています。
先発としては2019年に6勝を挙げた以外は目立った成績を残せませんでしたが2022年にリリーフとして起用されると防御率1点台に抑える活躍を見せました。
今後もセットアッパーとして大車輪の活躍を期待しています。




背番号44:今季初の二桁勝利を達成したアンダースロー


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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には黒原祐二投手が着けていたようですがプレーを見た記憶がありません。
1991年からは山野和明選手が着けましたが1軍で結果を残せませんでした。

1996年からは山野選手とのトレードで加入した清水雅治選手が着けました。
ライオンズ移籍後は東尾監督時代に外野のサブプレイヤーとしてチームに貢献しました。
2002年の引退後はライオンズを含めた各球団や侍ジャパンのコーチを歴任しています。

2003年にはマクレーン選手の背番号が44に変更になりました。
26本塁打を放った一方で低打率に終わりオフに退団しましたが翌年に復帰しています。

2004年には高山久選手の背番号が44に変更されました。
2010年にはキャリアハイの成績を残したものの以降は低迷し2013年シーズン中にトレードで阪神に移籍しています。
引退後はライオンズのアカデミーコーチ、スカウトを経て現在は打撃コーチを務めています。

2013年途中からは高山選手とのトレードで加入した川崎雄介投手が着けました。
結果は残せませんでしたが翌年から背番号34に変更になっています。

2014年には美沢将選手の背番号が44に変更になりました。
しかしこの年は1試合の出場に終わりオフに退団となりました。

2015年からはドラフト3位入団の外崎修汰選手が着けました。
2017年に辻発彦選手に抜擢され初の規定打席に到達するなど飛躍を遂げると翌年からは背番号5に変更となりました。

2018年途中からは中日からトレードで加入した小川龍也投手が着けました。
入団会見時には背番号にちなんで獅子也に変わりますと発言し話題となりました。
移籍後は貴重なリリーフ左腕としてリーグ連覇に大きく貢献し2021年からは背番号29に変更になりました。


現役選手

2020年からは育成から再び支配下登録された與座海人投手が着けています。
支配下となってからは年ごとに成績を良化させ2022年は先発として二桁勝利を記録しました。
球界でも貴重なアンダースローなだけに今後も長く主力として活躍して欲しいです。




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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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