歴代背番号

背番号15:伸び悩んだドラ1投手が多い番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


背番号15を着けてプレーしているのを見た記憶のある最も古い選手は松沼博久投手です。
1979年にドラフト外で入団すると1年目から16勝を挙げて新人王を獲得すると、1990年に引退するまでに5度の二桁勝利を記録するなど通算112勝を挙げる活躍を見せました
口ひげがトレードマークのアンダースローで、弟の松沼雅之投手も同時に入団していた事から兄やんの相性で親しまれていました。

1991年からはドラフト1位指名された長見賢司投手が着けています。
しかし1994年には背番号36に変更、1995年からは野手に転向したものの1軍出場を果たせないまま1997年シーズン前にベイスターズにトレードになりました。

1994年には藤本修二投手の背番号が15に変更になりました。
しかし結果を残せずに1995年限りで引退しています。
なおライオンズ移籍前のキャンプ中に猫に手を噛まれてしまった事から、ニャンコの愛称で呼ばれていました。

1997年にはドラフト3位ルーキーの谷中真二投手に与えられました。
しかし大きな結果を残せず2001年シーズン中にタイガースにトレードになりました。
選手としての実績よりも松坂投手のルーキー時代のキャンプで背格好が似ていた事から松坂投手の影武者にされてしまった事の方が印象に残ってしまっています。
なお複数球団への移籍を経て2008年にライオンズに復帰しましたが、その際には別の背番号を与えられています。

2001年には谷中投手とのトレードで入団した平尾博司選手がそのまま引き継ぎました。
しかしライオンズでは野手の番号ではないため翌年には背番号23に変更になっています。

2002年には前々年のドラフトで逆指名入団していた大沼幸二投手が15に変更されました。
先発やリリーフとして活躍した時期はあったものの制球面の不安などから継続して結果を残す事はできず、2010年オフに背番号61に変更になりましたが、2011年開幕前にベイスターズにトレードになっています。

2011年からはドラフト1位入団の大石達也投手が着けました。
6球団競合の剛腕として大きな期待を受けていましたが、右肩の故障の影響もありプロでは目立った成績を残す事ができませんでした。
2019年限りで引退し今年からは2軍投手コーチに就任しましたので、若手投手の育成に期待したいところです。

現役選手


2020年からはドラフト1位入団の宮川哲投手が背番号15を着けています。
1年目からシーズンを通してリリーフとして活躍し、ルーキーながらも満塁などのピンチの場面で多く起用されるなど首脳陣からの信頼も厚い投手です。
ドラフト1位入団で背番号15を着けたものの結果を残せなかった投手が多いですが、宮川投手には課題の制球面を安定させて長くチームの主力として活躍して欲しいところです。




背番号14:リリーフ投手が多い番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


背番号14を着けてプレーしているのを見た記憶のある最も古い選手は中尾孝義選手です。
1992年シーズン途中にトレード移籍してきたベテラン捕手ですが、あまり出場機会は得られずに1993年限りで引退しました。

1994年にはルーキーの石井貴投手に背番号14が与えられました。
3年目から1軍に定着するとまずはリリーフとして、1998年からは先発として活躍し、マウンドで仁王立ちする姿は投げる金剛力士像と呼ばれていました。
2002年から背番号を21に変更しています。

2003年からはルーキーの小野寺力投手が着けました。
埼玉出身でドラフト前からライオンズ希望を公言しており念願叶っての入団となりました。
2年目からリリーフとして活躍し抑えを任せられた年もありましたが、年により好不調の波が激しい選手でした。

2011年にはシーズン中に小野寺投手がスワローズにトレードとなり、代わってタイガースからトレード移籍してきた江草仁貴投手が背番号14を引き継ぎました。
チームに不足していたリリーフ左腕として期待されましたが防御率5点台と結果を残す事ができませんでした。

翌2012年シーズン開幕前に江草投手はカープにトレードで移籍し、シーズン中に獲得したオーティズ選手が背番号14を着けました。
終盤には主軸を打つ活躍を見せ、翌年には背番号8に変更になっています。

現役選手


2013年からは増田達至投手が背番号14を着けています。
1年目からリリーフとして活躍し最優秀中継ぎを1回、最多セーブを1回獲得しています。
また昨年には球団の最多セーブ記録も更新しました。
去就が注目された昨年オフにはFA権を行使した上で残留となりましたので、まだしばらくはライオンズの守護神として9回のマウンドに君臨してくれる事を期待しています。



背番号13:「西武のエース」の背番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


背番号13を着けてプレーしているのを見た記憶のある最も古い選手は藤本修二投手です。
1992年オフにタイガースを自由契約になりライオンズにテスト入団すると、主に中継ぎとして活躍して翌年は背番号15に変更になりました。

1994年には新外国人のパグリアルーロ選手が着けました。
メジャーで1000本近い安打を放っており他球団との争奪戦を制した上での獲得でしたが、期待通りの結果は残せずに1年限りで退団しました。

そして1995年には新人の西口文也投手に背番号13が与えられました。
2年目に16勝を挙げると以降はローテーションの柱として活躍し、沢村賞シーズンMVP1回に加え、最多勝2回、最多奪三振2回、最高勝率1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回を獲得しました。
松坂投手入団後はネット上でどちらがエースかという議論があり、最終的には日本のエースは松坂、西武のエースは西口と結論づけられていました。
2015年に引退するまでに182勝を挙げましたが、3度のノーノーと完全試合未遂に加え、日本シリーズでは未勝利に終わるなど悲運のエースでもありました。

現役選手


2019年からは高橋光成投手の背番号が13に変更になりました。
西口投手の引退セレモニーでマウンド上に残されたグローブを当時ルーキーだった高橋投手が拾うという演出があり、背番号の継承は既定路線だったのかもしれません。
足踏みはあったもののここ2年は結果を残しており、今シーズンは初の開幕投手を務めます。
更に安定感を増して真の西武のエースになって欲しいです。



背番号12:投手と外野手が着けるも伸び悩んだ選手の多い番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


1985年から2年間は来日直後の郭泰源投手が着けていました。
1988年から1990年は北村照文選手、1990年から1992年は鈴木康友選手が着けていましたがサブ的な選手という事もありプレーを見た記憶はありません。

1994年には垣内哲也選手の背番号が12に変更されました。
抜群のパワーを誇るもののなかなか殻を破れずにミカンの大器と呼ばれており、1996年には28本塁打を放ちますが以降も伸び悩みレギュラー定着はなりませんでした。

1999年には新人の柴田博之選手に背番号12が与えられました。
俊足の外野手で競馬一家出身のためシバタオーの愛称で呼ばれ、トップバッターとして期待されましたが、故障の影響で守備につくのが難しくなり、レギュラー獲得までは至りませんでした。

2004年にはファイターズを戦力外となりテスト入団した武藤潤一郎投手が着けましたが、1軍出場無く1年のみで退団しています。

2005年にはジャイアンツからトレードで移籍してきた河原純一投手が着けました。
投手不足のためローテーション入りしますが2勝11敗と大きく負け越し、以降も故障などもあり結果を残せずに2007年限りで退団しました。

2008年にはFA移籍した和田一浩選手の人的補償で獲得した岡本真也投手が着けました。
手薄だったリリーフ陣の柱として期待されましたが前年までの安定感を欠き、2009年限りで退団しています。

2010年には新人の岩尾利弘投手に与えられました。
主力として定着する事はできませんでしたが、背番号31に変更になった2015年にはリリーフとして4試合に跨っての9者連続奪三振を達成しています。
2017年の引退後はライオンズで打撃投手を務めています。

2015年からは新外国人選手の郭俊麟投手が着けました。
郭泰源投手と同じ番組を与えられた事から球団の期待の高さが伺えましたが、故障などもあり結果を残せずに2018年には背番号69に変更になり、2019年限りで退団となりました。

2018年には新外国人選手のワグナー投手が着けました。
リリーフとして36試合に登板するも安定感を欠きシーズン途中に自由契約となっています。

現役選手


2019年からは渡邉勇太朗投手に背番号12が与えられました。
地元埼玉出身で甲子園で素晴らしいピッチングを見せた事からファンの期待も高いですが、故障などもありファームでもあまり実践経験を積めていません。
しかし投げているボールの質については先輩選手からの評価は高く、内海哲也投手に指示してストイックにトレーニングに取り組んでいるようですにで、近い将来に1軍のローテーション投手として活躍してくれる事を期待しています。



背番号11:タイトルを獲得した主力投手達の番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期の前半には最優秀救援投手を獲得した森繁和投手が背番号11を着けていましたが、プレーしている姿を見た記憶はほとんどありません。

1989年にはルーキーの石井丈裕投手に背番号11が与えられました。
このブログでも何度か書いているようにシーズンMVP沢村賞を獲得していますが、1997年オフに西崎幸広投手とのトレードでファイターズに移籍しています。

1998年には逆指名で入団した安藤正則投手が背番号11を着けました。
しかしルーキーイヤーに故障の恐れがあると言う理由でフォームを改造された結果本来の投球が出来なくなり、1軍登板の無いまま2002年限りで退団しました。
まだ公式戦で投げる前からアマチュア時代に結果を残していたフォームを変えさせた事は未だに疑問に思っています。

2002年には森慎二投手の背番号が11に変更になりました。
憧れの野茂英雄投手が日本で着けていた番号で、安藤投手の退団で11が空いたタイミングで変更の希望を出したようです。
最優秀中継ぎのタイトルを2回獲得するなど主にリリーフとして活躍し、2005年オフにポスティングでMLBのデビルレイズ(当時)に移籍しますが、怪我のために登板無く帰国しています。
引退後は2015年からライオンズでコーチを務めましたが、2016年シーズン中に急逝された事が今でも悲しく残念でなりません。

2007年にはルーキーの岸孝之投手に背番号11が与えられました。
1年目からローテーションに定着するとライオンズ在籍中には最高勝率1回、ゴールデングラブ賞1回を獲得し、2008年には日本シリーズMVPに輝いています。
しかし2013年にFA権を取得した際には生涯ライオンズを宣言して残留したものの、2016年に2度目のFA権を取得するとイーグルスへ移籍しています。

現役選手


2017年からは今井達也投手が背番号11を着けています。
甲子園優勝投手として期待され、令和初完封を記録した投手となるなど順調に成長していましたが、昨年は不振に陥り期待を裏切ってしまいました。
突然制球を乱す点など課題は明確ですが、オフの間に筋トレに取り組みキャンプでは投球フォームの確立に取り組んでいるようですので、今年こそ初の二桁勝利を挙げて欲しいです。




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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。