歴代背番号

背番号45:正捕手争いと主砲争いに敗れたドラ1捕手

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には大久保博元選手が着けていました。
1984年ドラフト1位で入団しましたが捕手としては伊東勤選手の壁を崩せず、更にスラッガーとしても後に清原和博選手が入団したため一軍定着はなりませんでした。
しかし1992年シーズン中にトレードで巨人に移籍してからは主力として活躍しました。

1993年にはトレンティーノ選手が着けました。
前年で退団したデストラーデ選手の穴を埋める活躍を期待されましたが打率1割台と低迷し1年限りで退団しています。

1994年からはドラフト2位入団の山田潤選手に与えられました。
大砲として期待されたものの目立った活躍はできず1998年オフにトレードで移籍しています。

1999年からは山田選手とのトレードで獲得した高山健一選手が着けました。
内野のバックアップとして期待されたものの出場機会を得られず2001年限りで引退しました。

2002年からは古屋剛選手の背番号が45に変更になりました。
この年はプロ初本塁打を放ったものの一軍には定着できず2004年限りで引退しています。

2005年からは水田圭介選手の背番号が変更されました。
内外野を守れるユーティリティプレイヤーでしたが結果を残せず2009年途中にトレードで移籍しています。

2009年途中からはトレードで獲得した藤田太陽投手が着けました。
不安定なリリーフ陣の中でセットアッパーとして活躍しましたが故障や危険球退場の影響から精彩を欠くようになり2012年限りで退団しています。

2013年からは林崎遼選手の背番号が変更されました。
故障もあり翌年オフに育成契約となりましたが2015年シーズン中に支配下登録され再び背番号45を着けました。
しかし結果を残せず同年限りで退団しています。


現役選手

2016年からはドラフト6位で入団した本田圭佑投手が着けています。
先発としては2019年に6勝を挙げた以外は目立った成績を残せませんでしたが2022年にリリーフとして起用されると防御率1点台に抑える活躍を見せました。
今後もセットアッパーとして大車輪の活躍を期待しています。




背番号44:今季初の二桁勝利を達成したアンダースロー


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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には黒原祐二投手が着けていたようですがプレーを見た記憶がありません。
1991年からは山野和明選手が着けましたが1軍で結果を残せませんでした。

1996年からは山野選手とのトレードで加入した清水雅治選手が着けました。
ライオンズ移籍後は東尾監督時代に外野のサブプレイヤーとしてチームに貢献しました。
2002年の引退後はライオンズを含めた各球団や侍ジャパンのコーチを歴任しています。

2003年にはマクレーン選手の背番号が44に変更になりました。
26本塁打を放った一方で低打率に終わりオフに退団しましたが翌年に復帰しています。

2004年には高山久選手の背番号が44に変更されました。
2010年にはキャリアハイの成績を残したものの以降は低迷し2013年シーズン中にトレードで阪神に移籍しています。
引退後はライオンズのアカデミーコーチ、スカウトを経て現在は打撃コーチを務めています。

2013年途中からは高山選手とのトレードで加入した川崎雄介投手が着けました。
結果は残せませんでしたが翌年から背番号34に変更になっています。

2014年には美沢将選手の背番号が44に変更になりました。
しかしこの年は1試合の出場に終わりオフに退団となりました。

2015年からはドラフト3位入団の外崎修汰選手が着けました。
2017年に辻発彦選手に抜擢され初の規定打席に到達するなど飛躍を遂げると翌年からは背番号5に変更となりました。

2018年途中からは中日からトレードで加入した小川龍也投手が着けました。
入団会見時には背番号にちなんで獅子也に変わりますと発言し話題となりました。
移籍後は貴重なリリーフ左腕としてリーグ連覇に大きく貢献し2021年からは背番号29に変更になりました。


現役選手

2020年からは育成から再び支配下登録された與座海人投手が着けています。
支配下となってからは年ごとに成績を良化させ2022年は先発として二桁勝利を記録しました。
球界でも貴重なアンダースローなだけに今後も長く主力として活躍して欲しいです。




背番号43:故障に泣いた剛腕リリーフ左腕


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ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


背番号43を着けてプレーする姿を見た記憶のある最も古い選手は横田久則投手です。
2年目に5勝を挙げるなど期待されましたが以降は相次ぐ故障に苦しみました。
それでも1998年には6勝を挙げてリーグ優勝に貢献しています。
2000年限りで退団し、引退後はライオンズでコーチや二軍監督を務めており2022年現在もチームスタッフとして球団に残っています。

2001年からはテスト入団した水尾嘉孝投手が着けました。
リリーフ左腕として重宝されましたが2003年限りで退団しています。

2004年からはやはりテスト入団の宮崎一彰選手が着けました。
俊足が持ち味のユーティリティプレイヤーでしたがあまり出場機会を得られず2006年限りで退団となりました。

2007年からはルーキーの原拓也選手が着けました。
ミスも多いものの繋ぎ役の打者として2011年には球団のシーズン最多犠打記録を更新しオフには背番号5に変更となりました。
現在はライオンズアカデミーのコーチを務めています。

2012年にはトライアウトで獲得した桟原将司投手が着けました。
しかし1軍登板の無いまま1年限りで退団しています。

2013年からはドラフト4位入団の高橋朋己投手が着けました。
1年目途中から1軍に定着すると2年目からはセットアッパーやクローザーとして活躍しました。
しかし2015年終盤の右足腓骨骨折を皮切りに2016年には肘を痛めトミージョン手術、更に復帰した2018年には肩を痛めてオフには育成契約となりました。
その後は1軍復帰を果たせず2020年オフに引退しアカデミーコーチを務めています。

2021年には金銭トレードで獲得した吉川光夫投手が着けました。
しかし1軍では結果を残せず1年限りで退団しています。


現役選手

2022年からは羽田慎之介投手が着けています。
ライオンズジュニア初のプロ野球選手で底知れぬスケールの大きさを感じます。
既にファームで実戦デビューを飾り上々のピッチングを見せたため今後の成長が楽しみです。




背番号42:外国人選手の番号


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ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には西本和人投手が着けていましたがプレーを見た記憶はありません。

背番号42を着けてプレーする姿を見た記憶のある最も古い選手はペンバートン選手です。
1997年途中に入団しましたが結果を残せず翌年限りで退団しています。

1999年にはジンター選手が着けました。
シーズン途中に入団しデビュー戦で満塁本塁打を放ったもののすぐに他球団に対策されるようになり夏場以降は1軍での出場がありませんでした。

2000年にはジェファーソン選手が着けました。
現役メジャーリーガーで左腕が苦手ながらも徐々に調子を上げていきました。
しかしイニングの途中で守備を交代させられたのが引き金となりシーズン途中での退団となってしまいました。

2001年からはカブレラ選手が着けました。
規格外のパワーを誇り加入1年目から4番として活躍しました。
ライオンズ時代にはシーズンMVP、本塁打王、打点王、最高出塁率を1回ずつ、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞1回を獲得しています。

2008年からはブラゼル選手が着けました。
打率は低いものの中軸として活躍しましたが頭部死球からの復帰の目処が立たない事から1年限りで退団となりました。

2009年は途中入団のベイリス投手が着けました。
リリーフとして期待されたものの安定感を欠きこの年限りで退団しています。

2010年からはブラウン選手が着けました。
1年目は21本塁打を放ったものの翌年は不振に陥りシーズン中に退団となりました。

2012年からはトレードで獲得した嶋重宣選手が着けました。
結果を残せず2013年限りで引退しましたがその後はコーチとして手腕を発揮しています。

2014年はレイノルズ投手が着けました。
先発として期待されましたが3勝に終わり1年で退団しています。

2015年はミゲル投手が着けました。
投げるメヒア投手として話題となり抑えとして期待されたものの全く通用せずに1年限りで退団となりました。

2016年はバスケス投手の背番号が変更となりました。
しかし前年は一定の成績を残したものの不振に陥りこの年限りで退団しています。

2017年からは途中入団のマーティン投手が着けました。
1年目はセットアッパーとしてリーグ優勝に大きく貢献しましたが翌年は制球難から不安定な投球となりシーズン終了後に退団となりました。


現役選手

日本では縁起が悪いと敬遠される番号ですがMLBでは全球団永久欠番となっている事から外国人選手に好まれる番号です。

2022年からはボー投手が着けています。
リリーフとして期待されており若くて未知数な分伸び代も大きいと思いますので日本で大きく飛躍して欲しいです。




背番号41:関東出身の高卒本格派右腕


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ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


背番号41を着けてプレーしているのを見た記憶のある最も古い選手は渡辺久信投手です。
1983年ドラフト1位で入団すると直球とフォークなどを武器に最多勝3回、最多奪三振1回、最高勝率1回を獲得するなど黄金期の右のエースとして活躍しました。
また1996年にはノーヒットノーランを達成しています。

1998年からはドラフト3位入団の鳥谷部健一投手が着けました。
渡辺投手と同じく右の本格派として期待されましたが結果を残す事が出来ず2005年オフに自由契約となり中日に移籍しました。

2006年には金銭トレードで復帰した後藤光貴投手が着けました。
しかしこの年は1軍登板は果たせずオフに引退しています。

2007年からはドラフト1位入団の木村文和投手が着けました。
地元埼玉出身の本格派として期待されて1軍での出場機会を増やしていましたが腰痛の影響で2012年シーズン中に野手に転向し、オフには背番号51に変更となりました。

2016年からは相内誠投手の背番号が41に変更となりました。
もともと入団時から与える事が予定されていた番号でしたがドラフト後に道交法違反で摘発された影響で背番号71を着けていました。
しかし背番号変更後も結果を残せず2020年からは背番号66に再変更となりました。


現役選手

2020年からはドラフト6位入団の井上広輝投手が着けています。
高校時代は故障が無ければ上位指名が予想されていた程評価の高かった投手で昨年は1軍デビューを果たしました。

渡辺投手のイメージが強いためか同タイプの高卒本格派右腕に与えられてきましたが現時点では投手として結果を残した選手がいない状況です。
そのため井上投手にはこのまま順調に成長してチームの主力として長く活躍してくれる事を期待しています。




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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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