歴代背番号

背番号7:三拍子揃ったスター選手たち

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

黄金時代の三塁手


黄金時代の背番号7と言えば石毛宏典選手でした。
1980年のドラフト1位で入団すると1年目からショートのレギュラーに定着して新人王を獲得する活躍を見せ、1986年にはパリーグMVPに輝いています。
その後はサードにコンバートされガッツ溢れるプレーでチームを引っ張り、ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞10回獲得するなど主力として長く活躍しました。

しかし1994年オフに森監督の後任として監督就任を打診されると現役続行に拘りFA権を行使してホークスに移籍しましたが、結果を残せずに1996年限りで引退となりました。
現監督の辻選手に対しても同様でしたが、黄金期の終焉時は選手の意向を無視した強引な人事を行おうとした結果、勝ち方を知っている選手達が流出してチームが弱体化すると同時に、他チーム(特にホークス)の強化に繋がったように思えます。
また仮に石毛選手が納得するまでライオンズで現役を続けられていれば、生え抜き初の2000本安打も達成できていたのではないでしょうか。

引退後はホークスの二軍監督やバファローズの一軍監督を務めましたが、結果を残せずに退任しています。
しかしその後四国アイランドリーグの設立に関わり、日本野球界に独立リーグという新たな裾野を広げたという功績を残しました。

変遷


1995年からは新外国人選手のダリン・ジャクソン選手が背番号7をつけました。
この年はMLBのストライキの影響で多くの現役メジャーリーガーが来日しており、ジャクソン選手も打撃面は少し物足りないながらも守備走塁面でもハイレベルの活躍を見せてくれました。
またプロ野球選手としては珍しく帽子の上からヘルメットを被っていたように記憶しています。

1997年からは売出し中の松井稼頭央選手の背番号が7に変更になりました。
プロ入り後に転向したスイッチヒッターも板に付いてこの年に初の3割を記録すると、盗塁王3回、最多安打2回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ4回と多くのタイトルを獲得、また1998年にはパリーグMVPに輝き、2002年にはスイッチヒッター初のトリプルスリーを記録するなど、ライオンズのスター選手として活躍しました。
2003年オフにFA権を行使してMLBに移籍すると、翌年にはメジャー初となる新人選手による開幕戦初球初打席本塁打を記録します。
その後2011年には日本球界に復帰してイーグルスに移籍、2018年にはライオンズに復帰した再び背番号7を着け、その年限りで引退となりました。
現在は2軍監督を務めており次期1軍監督と目されています。

2005年からは新人の片岡易之選手に背番号7が与えられました。
俊足が持ち味で2年目からセカンドのレギュラーに定着すると、盗塁王4回、最多安打1回、ベストナイン1回を獲得しました。
2008年のジャイアンツとの日本シリーズ第7戦では、ギャンブルスタートで内野ゴロの間に同点のホームを踏み、逆転勝ちでの日本一に貢献しています。
その後2013年オフにFA権を行使してジャイアンツに移籍し、2017年限りで引退しました。

2014年からは片岡選手の人的補償で獲得した脇谷亮太選手が背番号7を着けました。
主力選手が着けていた大事な番号だっただけに、この時にはファンの間からも批判的な声が多く上がっていました。
脇谷選手はファンの予想を超える活躍を見せましたが、2015年オフにFA権を行使してジャイアンツに復帰しました。

現役選手


2020年からは金子侑司選手の背番号が7に変更になりました。
金子選手も既に盗塁王を2回獲得する活躍を見せていますが、昨年は故障などもあり満足のいく結果を残せませんでしたので、今シーズンはトップバッターとしてまた盗塁王争いに絡めるような活躍を見せてくれる事に期待しています。

背番号6:主力内野手の番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

黄金時代の遊撃手


黄金時代の背番号6と言えば田辺徳雄選手でした。
個性的揃いの選手達の中で地味目な存在でしたが堅実なプレーでショートのレギュラーとして活躍し、ベストナインゴールデングラブ賞を2回ずつ獲得しています。
しかし奈良原浩選手松井稼頭央選手の台頭もあり徐々に出場機会を減らすと1999年オフにジャイアンツに金銭トレードとなり、翌年限りで引退となりました。

引退後は2002年からライオンズのコーチとなり多くの若手選手を主力選手に育て上げると、2014年シーズン中に退任した伊原監督の後任として1軍監督に就任しますが、結果を残せず2016年限りで退任となりました。
元々コーチタイプでしたがチーム事情から監督となり、ファンからも厳しい声がなどなかなかつらい時期でした。

2020年からは新設された3軍統括コーチに就任しましたので、また若手野手の育成手腕を発揮してくれる事に期待しています。

変遷


2001年にはユーティリティプレイヤーの原井和也選手の背番号が6に変更になりましたが、2002年オフにマリーンズに移籍しました。

2003年には新人の後藤武敏選手に背番号6を与えられていきなり開幕で4番を打ちますが、翌年以降は成績が下降気味となり2011年オフにトレードでベイスターズに移籍となりました。

2012年からは新外国人のヘルマン選手が背番号6を着けました。
パワーは無いものの俊足とガッツ溢れるプレーで2年連続全試合出場の活躍を見せ、球団としては契約延長を希望したものの交渉がまとまらずバファローズに移籍してしまいました。

2014年はセラテリ選手、2015年はランサム選手という外国人選手が背番号6を着けますが、両選手共に結果を残せずに1年限りで退団しています。
ただしランサム選手は特徴的な応援歌が今でもネタ話題になる事があります。

2016年にはバファローズを戦力外となった竹原直隆選手に背番号6を与えられますが、やはり目立った成績は残せずに1年で自由契約となりました。
ちなみに左打右打という珍しい選手でした。

現役選手


2017年からは源田壮亮選手が背番号6を着けています。
抜群の守備力で開幕からショートで起用されると、社会人時代に9番を打つなど不安視されていた打撃面もプロの指導で改善され、最終的にフルイニング出場で新人王を獲得しました。
中島選手のポスティング移籍後に空いていたショートの穴を埋めただけでなく、その守備力でライオンズの野球自体を変えてしまったと言っても過言ではないのではでしょうか。

その後もレギュラーに定着しベストナインゴールデングラブ賞を3回ずつ獲得しています。
また2020年からはキャプテンに就任していますので、今シーズンもチームの中心として引っ張り、念願の日本一に導いて欲しいです。


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背番号5:内外野の主軸に受け継がれる番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

不動の正二塁手


黄金時代の背番号5と言えば現監督の辻発彦選手でした。
不動の正二塁手として主にトップバッターを打ち、5回のベストナイン、二塁手として歴代最多の8回のゴールデングラブ賞に輝き、1993年には首位打者を獲得しています。
また1987年のジャイアンツとの日本シリーズでは、秋山選手のシングルヒットで一塁から一気にホームインしたランナーが辻選手でしたし、9回2死で涙が止まらなくなった清原選手を慰めてもいました。
しかし1995年シーズンを不振のまま終えると自由契約となりスワローズに移籍し、1999年シーズン限りで引退しました。

引退後はスワローズ、ベイスターズ、ドラゴンズのコーチを歴任し、2017年からはライオンズの1軍監督に就任しました。
監督としては2018-2019年の連覇を含む4年連続のAクラス入りを果たしていますが、選手やコーチとしてライオンズの森監督、スワローズの野村監督、ドラゴンズの落合監督という名将に師事していた経験が活かされているのかもしれません。
今シーズンはパリーグ王座奪回と念願の日本一に導いてくれる事を期待しています。

変遷


1996年からは抜群の守備力を誇る奈良原浩選手の背番号が5に変更されましたが、1997年オフに西崎投手とのトレードでファイターズに移籍しました。

1998年からはライオンズとして初めてFAで獲得した中嶋聡選手に背番号5が与えられました。
強肩が持ち味で伊東選手と併用され、松坂投手の専属捕手としても起用されました。
その後は2002年オフにベイスターズ、2003年オフにファイターズに移籍し2015年限りで引退しましたが、1軍での実働29年はプロ野球タイ記録となっています。

背番号5は捕手の番号らしくないという中嶋選手の意向により、2000年に和田一浩選手との背番号の交換が行われました。
捕手として入団した和田選手ですが2002年に正式に外野手に転向すると才能が開花し、通算6回のベストナインに輝き、2005年には首位打者最多安打を獲得しています。
さらに2007年オフにFA権を行使してドラゴンズに移籍すると2010年にはシーズンMVPを獲得し、2015年には2000本安打を達成しました。
極端なオープンスタンスの個性的な打撃フォームで、こすったような打球がスタンドインするような独特な打撃センスを持った選手でした。
引退後はコーチなどには就任していませんが、一度ライオンズで打撃指導をして欲しいという思いもあります。

2008年からは守備に難があったものの抜群の打撃センスを誇っていた石井義人選手の背番号が5に変更になりました。
この変更は2007年オフの石井選手の結婚披露宴での球団社長の祝辞の中でサプライズ発表されたのを覚えています。

その後は2012年は原拓也選手、2013-2014年は山崎浩司選手、2016-2017年は鬼崎裕司選手というサブの選手達が背番号5を着けました。

現役選手


2018年からは外崎修汰選手が背番号5を着けています。
辻監督就任後に我慢強く起用されて才能が開花してレギュラーに定着しました。
内外野守れるユーティリティプレイヤーですが2019年からは主にセカンドとして起用され、昨年はゴールデングラブ賞を獲得しました。
今シーズンも攻守で主軸として活躍し、チームを優勝に導いて欲しいです。


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背番号4:一桁だけどやはり地味めな番号

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

ユーティリティプレイヤー


黄金時代の背番号4と言えば笘篠誠治選手でした。
内外野を守れるユーティリティプレイヤーで毎試合のように出場していた印象がありますが、記録を見返すと出場100試合を超えたのは4シーズンのみでシーズン安打も最高61本と少し意外でした。
1997年に引退した後は2007年までライオンズでコーチを務め、以降も各球団でコーチを歴任しています。

変遷


1998年は長打力不足だったラービー選手、1999年は名前の印象は強いものの成績は散々だったシアンフロッコ選手の両外国人が着けていました。

2000年からは高木浩之選手の背番号が40から変更になりました。
高木選手は地味ながらも堅実な守備としぶとい打撃で主に9番セカンドとして東尾監督、伊原監督、伊東監督時代のライオンズを支えました。
引退後は2013年から今年までライオンズでコーチを務めました。

2009年は巨人から移籍した清水崇行選手が着けた後、2010年にはドラフト2位ルーキー美沢将選手に背番号4が与えられました。
大型内野手として期待された美沢選手ですが結果を残す事ができず2014年からは背番号44に変更になっています。

2014年からは根性バントの鬼崎裕司選手が、2016年には途中入団のポーリーノ投手が投手としては珍しく背番号4を着けています。

現役選手


2019年からは山野辺翔選手が背番号4を着けています。
偶数年のドラ3野手として期待されるも入団から2年は出場試合数は伸びていないですが、シーズン終盤には2試合連続でサヨナラに繋がる打球を放ったり、守備間ではネットの反動を利用したファインプレーを見せるなどラッキーボーイ的な活躍を見せてくれました。
フェニックスリーグではいろいろなポジションにチャレンジしていたようですので、来シーズンは出場試合数を増やしてレギュラー奪取に挑んで欲しいです。


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背番号3:スラッガーの系譜

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ライオンズの各背番号を背負った選手のうち、プレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

黄金時代の主砲


黄金時代の背番号3と言えば清原和博選手でした。
甲子園のスターだった清原選手は1年目から歴代新人最多の31本塁打、高卒新人最高の打率.304、78打点を記録するなど輝かしい成績を残しました。
その後も主要打撃部門のタイトル獲得はならなかったもののライオンズ黄金時代の4番打者として活躍しました。

しかし1996年オフにFA権を行使してジャイアンツに移籍します。
ドラフト時のわだかまりがあるかと思っていましたが、入団発表で満面の笑顔でユニフォームに袖を通す姿を見て、それほど憧れていたのであれば仕方ないなと思った記憶があります。
その後は2005年オフにバファローズに移籍し、2008年限りで引退となりました。
(引退後についてはここでは割愛します。)

変遷


1997年からは高卒ドラ1ルーキーの玉野宏昌選手にいきなり背番号3を与えられますが、結果を残せず3年で背番号33に変更になりました。
その後2000年、2001年は1軍出場の機会を得たものもレギュラー定着はならず、2004年オフにドラゴンズにトレードとなりました。

2000年はMLB通算2240安打の実績を持つトニー・フェルナンデス選手、2001-2002年はカブレラ選手ツインバズーカを形成したスコット・マクレーン選手という外国人選手が背番号3を着けました。

2004年には中島裕之選手の背番号が56から3に変更になりました。
ショートの選手っぽくない番号だなという印象でしたが、MLBに移籍した松井稼頭央選手の穴を埋める活躍を見せ、以降は主に3番を打つなど主軸として活躍しました。
2012年オフにはFA権を行使してアスレチックスに移籍しますが結局MLBに昇格できず、2015年からは日本復帰してバファローズに移籍し、2019年からはジャイアンツに在籍しています。

その後4年間は空き番号となりましたが、2017年からは数年前から希望していた浅村栄斗選手が念願の背番号3に変更となりました。
更にキャプテンに就任し長く主砲として活躍してくれる事を期待していましたが、2018年オフにFA権を行使してイーグルスに移籍し非常に残念に思いました。

現役選手


2020年からは山川穂高選手が背番号3に変更になりました。
しかし3年連続の本塁打王を狙っていた今シーズンは足首の故障の影響などで不振に陥り4番も外れるなど、満足のいく結果を残す事ができませんでした。
来シーズンはまずは足首を万全にした上でまた主砲として大爆発して欲しいです。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。