ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。
変遷
背番号43を着けてプレーする姿を見た記憶のある最も古い選手は横田久則投手です。
2年目に5勝を挙げるなど期待されましたが以降は相次ぐ故障に苦しみました。
それでも1998年には6勝を挙げてリーグ優勝に貢献しています。
2000年限りで退団し、引退後はライオンズでコーチや二軍監督を務めており2022年現在もチームスタッフとして球団に残っています。
2001年からはテスト入団した水尾嘉孝投手が着けました。
リリーフ左腕として重宝されましたが2003年限りで退団しています。
2004年からはやはりテスト入団の宮崎一彰選手が着けました。
俊足が持ち味のユーティリティプレイヤーでしたがあまり出場機会を得られず2006年限りで退団となりました。
2007年からはルーキーの原拓也選手が着けました。
ミスも多いものの繋ぎ役の打者として2011年には球団のシーズン最多犠打記録を更新しオフには背番号5に変更となりました。
現在はライオンズアカデミーのコーチを務めています。
2012年にはトライアウトで獲得した桟原将司投手が着けました。
しかし1軍登板の無いまま1年限りで退団しています。
2013年からはドラフト4位入団の高橋朋己投手が着けました。
1年目途中から1軍に定着すると2年目からはセットアッパーやクローザーとして活躍しました。
しかし2015年終盤の右足腓骨骨折を皮切りに2016年には肘を痛めトミージョン手術、更に復帰した2018年には肩を痛めてオフには育成契約となりました。
その後は1軍復帰を果たせず2020年オフに引退しアカデミーコーチを務めています。
2021年には金銭トレードで獲得した吉川光夫投手が着けました。
しかし1軍では結果を残せず1年限りで退団しています。
現役選手
2022年からは羽田慎之介投手が着けています。
ライオンズジュニア初のプロ野球選手で底知れぬスケールの大きさを感じます。
既にファームで実戦デビューを飾り上々のピッチングを見せたため今後の成長が楽しみです。