過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1992年のドラフトです。
1位:杉山賢人投手(背番号29)
この年の目玉は松井秀喜選手や社会人の伊藤智仁投手でしたが、いずれも指名を回避して社会人左腕の杉山賢人投手を単独指名しました。
即戦力の期待に応えて翌年新人王を獲得すると、以降も鹿取義隆投手、潮崎哲也投手とサンフレッチェと呼ばれる勝ちパターンの一員としてライオンズのリリーフを支えました。
ちなみに丸顔のためアンパンマンというニックネームでした。
勤続疲労から徐々に成績を落とすと1999年シーズン中に阪神にトレードとなり、以降も近鉄、横浜に移籍し、2001年限りで引退となりました。
2018年からはライオンズの2軍投手コーチに就任していますので、1軍で活躍する若手投手の育成に期待したいです。
通算1軍成績:333試合17勝13敗-H17S 防御率3.91
2位:前田勝宏投手(背番号19)
150km/hを超えるストレートで即戦力として期待されましたが、制球難もありなかなか1軍では結果を残せない状況が続きました。
しかし1995年オフにハワイウインターリーグに参加して100マイルを記録するとMLBへの憧れに火がついたのか、突如MLBへの移籍を直訴して球団と大いに揉めて最終的に自由契約となりました。
そしてヤンキースとマイナー契約を結びますがメジャー昇格果たせないまま2001年にドラゴンズと契約を結び日本球界に復帰しました。
しかし1軍登板果たせずにその年限りで自由契約となると、その後は台湾、イタリア、中国などのリーグでプレーを続けました。
プレーを見た記憶は無いもののとにかくお騒がせ選手だった事は覚えています。
通算1軍成績:25試合3勝4敗-H5S 防御率4.89
3位:豊田清投手(背番号39)
抜群のコントロールで1996年から先発ローテーションとして活躍し、2001年から抑えに転向すると球速も増して炎のストッパーとして抜群の安定感を誇りました。
2006年に巨人、2011年に広島に移籍しその年限りで引退となりました。
昨年からはライオンズの1軍投手コーチとなり、リリーフ陣の整備を行うなど早速手腕を発揮しています。
通算1軍成績:558試合66勝50敗81H157S 防御率2.99
大型内野手として期待されましたが結果を残せず2002年に巨人にトレードとなりました。その後2007年にライオンズに復帰するも1軍出場なく引退しています。
引退後はライオンズでコーチとなり現在は3塁コーチャーとして抜群の判断力を見せ、チームに大いに貢献しています。
通算1軍成績:237試合58安打6本塁打24打点8盗塁 打率.195
高卒のサウスポーでしたが1軍登板なく1998年限りで引退しました。
有名アーティストと名前の読みが一緒だなと思っていた記憶はあります。
通算1軍成績:出場なし
高卒捕手でしたが伊東勤選手という高い壁がありなかなか出場機会を得られませんでしたが、伊東選手引退後は守備固めとして出場機会を増やし、2005年には入団13年目でのプロ初ホームランを放っています。
2008年に引退した後はブルペン捕手としてチームに残っています。
通算1軍成績:99試合21安打1本塁打7打点0盗塁 打率.158
坂本投手と同様に高卒サウスポーでしたが1軍出場なく1995年限りで引退しました。
通算1軍成績:出場なし
総括
目玉選手は指名せずお得意の独自路線となりましたが、松井選手のようなレジェンド的な活躍ではなかったものの、杉山投手もリリーフとして黄金期を支えました。更に何よりも3位で豊田投手を指名し育成できた事が大きかった年だと思っています。

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通算1軍成績:558試合66勝50敗81H157S 防御率2.99
4位:黒田哲史選手(背番号48)
大型内野手として期待されましたが結果を残せず2002年に巨人にトレードとなりました。
引退後はライオンズでコーチとなり現在は3塁コーチャーとして抜群の判断力を見せ、チームに大いに貢献しています。
通算1軍成績:237試合58安打6本塁打24打点8盗塁 打率.195
5位:坂本竜一投手(背番号49)
高卒のサウスポーでしたが1軍登板なく1998年限りで引退しました。
有名アーティストと名前の読みが一緒だなと思っていた記憶はあります。
通算1軍成績:出場なし
6位:田原晃司選手(背番号68)
高卒捕手でしたが伊東勤選手という高い壁がありなかなか出場機会を得られませんでしたが、伊東選手引退後は守備固めとして出場機会を増やし、2005年には入団13年目でのプロ初ホームランを放っています。
2008年に引退した後はブルペン捕手としてチームに残っています。
通算1軍成績:99試合21安打1本塁打7打点0盗塁 打率.158
7位:石井伸幸投手(背番号69)
坂本投手と同様に高卒サウスポーでしたが1軍出場なく1995年限りで引退しました。
通算1軍成績:出場なし
総括
目玉選手は指名せずお得意の独自路線となりましたが、松井選手のようなレジェンド的な活躍ではなかったものの、杉山投手もリリーフとして黄金期を支えました。更に何よりも3位で豊田投手を指名し育成できた事が大きかった年だと思っています。

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