思い出の試合

思い出の試合:NPB唯一となる両チーム無安打試合

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ノーヒットワンラン


​13日のロッテ戦では今井達也投手があわやノーヒットノーランの快投を見せました
そのノーヒットノーランにまつわる珍しい記録が生まれたのが1994年4月26日のイースタンリーグ対ヤクルト戦です。

この試合はライオンズ竹下潤投手、ヤクルト山部投手という両ドラフト1位左腕の投げ合いとなりました。
結局ライオンズ打線は山部投手を攻略できずノーヒットノーランを喫してしまいました。
一方の竹下投手もヤクルト打線を抑え込んだもののエラーで出塁させたランナーをスクイズで返してしまい、最終的に無安打に抑えたものの敗戦投手となりました。
この試合は現時点で一軍二軍を通してNPB唯一の両チーム無安打試合となっています。

なおノーヒットワンランを記録した竹下投手ですが前年の1993年にはイースタンリーグヤクルト戦でノーヒットノーランを達成しています。
それだけの力のあった投手ですが不正脈の影響もあり一軍では大成できませんでした。

しかし引退後はライオンズのスカウトに就任し手腕を発揮しています。
有力チームの多い関東担当という事もあり投手だけでも松本航投手、宮川哲投手のドラフト1位右腕や、一昨年の佐藤隼輔投手、昨年の青山美夏人投手も担当していました。

指名に関わった主力投手も多いだけにその中から一軍でノーヒットノーランを達成する選手が出てきて欲しいところです。


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第8戦までもつれ込んだ1986年の日本シリーズ

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熱戦


今年の日本シリーズはこもまで2勝2敗1分で第8戦までもつれる可能性があります。
過去に唯一第8戦までもつれ込んだのが1986年の西武対広島の日本シリーズでした。

初戦はライオンズ2点リードで9回を迎えましたが完封ペースだった東尾修投手が1死から連続本塁打を浴びて同点に追いつかれてしまいます。
以降は渡辺久信投手、松沼雅之投手が勝ち越しを許さなかったものの打線も得点を奪えず延長14回の末に引き分けに終わりました。

しかし土壇場で追いついた広島が勢いに乗ったのか第2戦以降はライオンズが3連敗を喫し崖っぷちに立たされます。

迎えた第5戦は東尾修投手北別府投手の投手戦で1-1のまま延長戦に突入します。
すると12回裏のチャンスの場面で2番手として登板していた工藤公康投手がそのまま打席に入るとまさかのタイムリーヒットが飛び出し劇的なサヨナラ勝ちを収めました。
森祗晶監督がこの回に勝ち越せなかった場合は工藤投手に続投させた方が良いと判断した事が結果的に功を奏した形となりました。

これで勢いに乗ったライオンズは結局3連敗の後の4連勝で見事に日本一に輝いています。
なお第8戦では同点本塁打を放った秋山幸二選手がバク宙でのホームインを披露しています。




今年はライオンズが出場できず悔しい日本シリーズですがここまで熱戦が繰り広げられているだけにこのまま第8戦までもつれ込むのか注目です。


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思い出の試合:2019年8月28日 北海道日本ハムファイターズ戦

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日没コールド


​23日に釧路で開催された日本ハム対オリックスの試合は7回終了時点で視界不良のため日没コールドで引き分けとなりました。
3年前にはライオンズ戦が同じく釧路で日没コールドとなっています。

この試合は序盤から両チームが得点を奪い合うシーソーゲームとなりました。
初回に中村剛也選手の2ラン、2回には山川穂高選手のタイムリーが飛び出し3点を先行しますが、先発の榎田大樹投手がピリッとせず同点に追いつかれます。

4回にも中村剛也選手が3ランを放ちますがその裏にまた1点差に迫られると、5回には伊藤翔投手が2点を奪われ逆転を許してしまいました。
6回表には中村剛也選手の内野安打と栗山巧選手のタイムリーで3点を奪い再逆転に成功しますが、その裏に野田昇吾投手がホームラン打たれ1点差に迫られます。

そして迎えた8回に先頭の森友哉選手が本塁打を放ったところで日没コールドとなりました。
元々ライオンズがリードしていたためか森選手の本塁打は記録として認められました。
またコールドで試合が打ち切りになった事で6回途中から登板していた平良海馬投手プロ初セーブを記録しています。

日没コールドとなった要因は天候面に加え乱打戦で試合が長引いた影響もあったと思います。
ライオンズが勝利したとは言え9回まで実施されていればどちらに転ぶか分からない試合展開だっただけに複雑な心境となりました。

今年もパリーグは混戦のため引き分けという結果が最後に効いてくる可能性があります。
数少ない地方開催で地元ファンは楽しみにしていると思いますしナイター設備の設置は難しいという事情も分かりますが、素人考えでは開催時期や時間などには再考の余地があるので思ってしまいます。


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思い出の試合:松坂投手ルーキーイヤーの言葉

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1999年4月21日 千葉ロッテ戦


松坂大輔投手の3度目の登板は相手エース「ジョニー」黒木投手との投げ合いとなりました。
両チーム無得点で迎えた6回に先制を許すと7回にも1点を失いこの回でマウンドを降ります。
結局7回2失点の好投ながらも打線の援護なく敗戦投手となった松坂投手は試合後に「リベンジします」というコメントを残しました。

そして迎えた翌週4月27日の千葉ロッテ戦は再び黒木投手との対戦となりました。
この試合も両先発の投げ合いとなりましたが味方が6回に挙げた1点を守り切り、見事にプロ初完封勝利を記録すると同時にリベンジ達成となりました。

このリベンジは巨人上原投手雑草魂と共に同年の流行語大賞を受賞しました。
もともと知られていた言葉ではありましたが一般的に広く使われるようになったのはこの試合での松坂投手のコメントがきっかけでした。

1999年5月16日 オリックス戦


稀代のヒットメーカーイチロー選手との初対決が注目されました。
初回の初打席ではストレートで空振り三振を奪うと、3回には変化球で見逃し三振、6回には変化球で空振り三振で見事に三打席連続三振を奪いました。
そしてこの試合に勝利した後には「自信が確信に変わりました」との言葉を残しました。

この2ヶ月後の対戦ではイチロー選手にプロ通算100号本塁打を浴びるなどプロの厳しさも味わいました。
それでもこの試合での確信を得た通りプロ1年目から最多勝を獲得する活躍を見せました。

引退登板


松坂投手は19日の日本ハム戦で引退登板が予定されています。
プレーだけでなく言葉でもファンを魅了してきた松坂投手だけに引退登板でのピッチングだけでなく会見でどのような言葉を残してくれるのかも注目したいです。


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思い出の試合:1999年4月9日 日本ハムファイターズ戦

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衝撃デビュー


松坂大輔投手の公式戦初登板試合です。

平成の怪物と呼ばれ甲子園春夏連覇を成し遂げて鳴り物入りでプロ入りを果たした松坂投手ですがオープン戦ではプロの洗礼を浴びました。
それでも開幕ローテ入りを果たし期待と不安が入り乱れる中で初先発を迎えました。

初球は149km/hのストレートで見事に空振りを奪います。
そして2死後に迎えた片岡選手に対して2-2から投じた1球はなんと155km/hを記録し見事に空振り三振を奪いました。
この時にフルスイングした片岡選手がバランスを崩して膝をついてしまう映像は松坂投手の衝撃的なデビューの象徴としてこれまで幾度となくテレビなどで流されています。

その後も6回1死までノーヒットに抑える快投を続けます。
しかし小笠原選手に初ヒットを許し、8回にはホームランを浴びて完封を逃したところでこの回限りで降板となりました。
それでも8回を2失点に抑えてプロ初勝利を記録する素晴らしいデビュー戦となりました。

その後もローテーション投手として活躍を続け1年目から最多勝、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得しています。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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