思い出の試合

思い出の試合:2008年11月16日 統一ライオンズ戦

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伝説の走塁再び


渡辺久信監督初年度のこの年は見事にリーグ優勝、更に日本一を成し遂げます。

そして当時開催されていた日本、韓国、中国、台湾の4カ国のチャンピオンチームで争うアジアシリーズへと駒を進めました。
予選リーグ初戦は敗れたもののその後は連勝し決勝となるこの試合に臨みました。

試合は投手戦となりライオンズは涌井秀章投手、星野智樹投手、大沼幸二投手のリレーで9回まで無失点に抑えます。
しかし打線も決め手を欠き無得点のまま9回裏の攻撃を迎えます。

9回裏も簡単に2死を取られたものの石井義人選手が四球で出塁します。
すると続く佐藤友亮選手のセンターへのヒットの間に石井選手が長駆ホームインし、サヨナラ勝ちで見事にアジア王者に輝いた試合となりました。
アジア大会開始後4年連続で日本勢が優勝していただけに面目を保つ形となりました。

この石井選手の走塁は1987年日本シリーズにおける辻発彦選手の走塁を思い起こさせるような素晴らしいものでした。
背景としてセンターの選手は山なりの送球が多いなど統一側の守備の緩慢さをあらかじめ研究していた事や、外野の守備シフトなども踏まえた判断があったようです。

渡辺監督の怒らない指導法で若手選手がのびのびプレーできている反面大雑把にもなっているように思えましたが、黄金期から受け継がれている緻密さはまだ健在だと感じた一戦でした。


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思い出の試合:2014年8月16日 日本ハムファイターズ戦

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黄金ルーキー


2014年は森友哉選手のルーキーイヤーです。
開幕からファームでは好成績を残していましたが捕手として実戦経験を積ませるという育成方針もあり2軍での出場が続いていました。

しかし1軍は開幕から躓きなかなか浮上できない状況が続いていたため、打線の起爆剤として7月下旬に1軍初昇格を果たしました。
7月30日にプロ初ヒットを放つと8月14日にはプロ初ホームランを放ちます。
更に8月15日に2試合連続ホームランを放ったという状況でこの試合を迎えました。

この試合は両チーム共に投手陣が安定せず中盤から点の取り合いとなり、1点リード9回には高橋朋己投手が同点打を浴びて7-7のまま延長戦に突入します。
そして延長10回には勝ち越しホームランを打たれ敗戦ムードが漂います。
しかしその裏に森友哉選手増井投手から代打ホームランを放ち引き分けに持ち込みました。

なおこれでプロ1号から3試合連続のホームランとなりましたが高卒新人としては史上2人目の記録だったようです。
ドラフト指名時から打てる捕手としてファンからの期待を集めていましたが、想像を上回る活躍を予感させる試合となりました。

なおこの活躍により早い段階で1軍起用しなかった首脳陣を批判する声もありました。
しかし捕手という特殊なポジションのため守備面の強化も図るためにファームでの出場機会を重視した判断は間違いではなかったと個人的には思っています。


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思い出の試合:1998年10月12日 千葉ロッテマリーンズ戦

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盗塁王争い


1998年はロッテの小坂選手松井稼頭央選手が激しい盗塁王争いを繰り広げていました。
その状況下で10/10からのシーズン最後の3連戦となる直接対決を迎えます。

10/10終了時点で小坂選手は43盗塁、松井選手は41盗塁と2個差の状況でした。
10/11の試合では両選手ともに積極的に盗塁を仕掛けたものの小坂選手は2失敗、松井選手は1成功3失敗となり1個差でシーズン最終戦を迎える事になりました。

この試合でもまず両選手共に1回ずつ盗塁を失敗します。
そして迎えた7回表に小坂選手がヒットを放ち盗塁のチャンスを迎えます。
この場面で芝崎和広投手の1塁牽制球が悪送球となりますが小坂選手は進塁しませんでした。
すると次の芝崎投手の投球はボークとなり結局小坂選手は2塁に進む事となり、その後三盗を試みますがタッチアウトとなりました。

その裏の攻撃では2死1塁の場面で松井選手がヒットを放ちます。
すると2塁走者の和田一浩選手と共にダブルスチールを決め、最終的に小坂選手と並んで2年連続の盗塁王獲得を決めた試合となりました。

この試合では芝崎投手の牽制悪送球やボークは故意ではないのか、悪送球となった際に小坂選手が進塁の意思すら見せなかったのも問題ではないかと物議を醸しました。
また両選手が2塁に進んだ際にポジションを無視してショートがセカンドベースに張りつくなどのシーンもありました。
結果的に球史に残るほど非常に後味の悪いタイトル争いとなってしまい、ファンとしても素直に喜べなかった記憶があります。

他球団でも首位打者や本塁打王争いをしている選手に対して敬遠攻めを行うシーンなども良く目にしましたが、ファンとしてはやはりある程度フェアな状況下でのタイトル争いを行なって欲しいと思ってしまいます。


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思い出の試合:2015年9月30日 オリックスバファローズ戦

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シーズン最多安打


2015年の秋山翔吾選手​はシーズン序盤からヒットを量産していました。

9月13日のロッテ戦では史上7人目の200本安打を達成し、マートン選手の持つシーズン最多安打記録214本の更新に期待が高まっていきました。
しかし疲れやプレッシャーからかヒットのペースが落ちていき、残り2試合を残しシーズン安打209本まで伸ばしたところでこの試合を迎えました。

すると初回にいきなり2塁打放ちイチロー選手の持つ日本人最多安打記録に並びます。
更に2回には3塁打、5回に2塁打、7回にシングルヒット、8回に2塁打と5安打の固め打ちで一気にマートン選手のシーズン214本に並びました。

試合前の時点で記録更新のためには2試合連続に猛打賞等が必要となるため達成は難しいと思っていましたが、まさかの1試合5安打に驚き興奮した記憶があります。

この勢いのまま秋山選手は翌日のシーズン最終戦でも2安打を放ち、見事にNPB新記録のシーズン216安打を達成し球史に名を残しました。

以降もヒットメーカーとして活躍した秋山選手ですが2020年のMLB挑戦以降はなかなか期待通りの結果を残せずに苦しんでいます。
もちろんMLB挑戦を続けて華々しい活躍を見せて欲しいですが、仮に将来的にNPBに復帰する場合にはライオンズで現役生活を全うして欲しいと思っています。


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思い出の試合:2014年10月3日 楽天イーグルス戦

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本塁打王争い


2014年は中村剛也選手メヒア選手で本塁打王争いを繰り広げていました

中村選手は怪我で出遅れメヒア選手は途中入団だったものの両選手共に8月にホームランを量産しパリーグの本塁打王争いに加わりました。
そして9月21日にトップのメヒア選手が33号を放つと、中村選手も26日、27日の2試合連発で33号となり両選手が並びました。

しかし翌日から中村選手は脚の故障で欠場すると、10月2日にメヒア選手が34号を放ち1本差でリーグ最終戦となるこの試合を迎えました。
中村選手はこの試合もスタメンから外れたため本塁打王争いは決したかに思われました。
しかし7回に代打で登場すると初球を捉えて右中間スタンドに運び、2リーグ制以降初となる同一チームの複数選手による本塁打王獲得、更にメヒア選手は史上初となる途中入団選手による本塁打王獲得という偉業を成し遂げた試合となりました。

この試合ではホームランを放った中村選手を出迎えたメヒア選手が自分の事のように喜んでいた姿が強く印象に残っています。
プレー面だけでなく性格も素晴らしいナイスガイだと改めて認識した試合でした。

そのメヒア選手もコロナ禍で家族と離れた生活を強いられていた影響で残念ながら今シーズン途中で退団となってしまいました。
現役を引退する訳ではないという情報もありましたし、諸々が落ち着いた際にはまた何かの形でライオンズに関わって欲しいと願っています。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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