トレード史

2005年トレード:投手同士のトレードと半年でのライオンズ復帰

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1対1の交換トレード


2005年シーズン開幕直後にライオンズの後藤光貴投手と巨人の河原純一投手の交換トレードが成立しました。

河原投手は1994年ドラフト1位で巨人に入団し初年度は先発として8勝を挙げました。
しかし以降は低迷し、2002年は抑えとして28セーブを記録したものの翌年以降は成績を落としていた中でのトレードとなりました。

移籍後はライオンズのチーム状況から再び先発として起用されました。
しかし初先発初勝利という幸先の良いデビューを飾ったものの以降は打ち込まれる事が多く最終的に2勝11敗と大きく負け越してシーズンを終えました。
翌年以降は故障の影響などでほとんど登板機会のないまま2007年限りで退団しています。

退団後は1年の浪人生活を経て中日に入団します。
リリーフとして復活を遂げ一定の成績を残しますが2011年オフに退団し、独立リーグを経て2015年限りで引退しました。
現在は愛媛マンダリンパイレーツの監督を務めています。

後藤投手は1998年ドラフトで一旦指名されたものの球団の不手際で指名は無効となり、翌1999年ドラフト7位で改めて指名されました。
2003年には先発として10勝を挙げましたが2004年は成績を落としたところでトレードでの放出となりました。

巨人では5試合のみの登板で未勝利に終わると、オフに戦力外となり金銭トレードでライオンズに復帰しました。
しかし2006年は1軍登板がなくこの年限りで引退しています。
現在ではライオンズでスカウトを務めています。

総括


2005年はルーキーの涌井投手も1勝6敗と大きく負け越し、河原投手と2人で借金14を作ってしまった事が優勝を逃した一因となりました。
しかしこの年は先発投手が不足していたため河原投手が打たれながらも一定のイニングを投げてくれた事はチームとしては助かったかもしれません。

一方で巨人を戦力外となった後藤投手が約半年で復帰した背景には入団時の経緯も影響しているのではと推測しています。
ただしスカウトとしては関西地区を担当し浅村栄斗選手、金子侑司選手などを担当している事から意義のあるライオンズ復帰だったと思っています。



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1978年トレード:西武ライオンズ初年度の大型トレード

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4対2の交換トレード


1978年シーズンオフにライオンズの真弓明信選手、竹之内雅史選手、若菜嘉晴選手、竹田和史投手、阪神の田淵幸一選手、古沢憲司投手の交換トレードが成立しました。

同オフにライオンズはクラウンライターから西武への身売りが行われました。
当時の堤オーナーは新生西武ライオンズの目玉として野村克也選手、山﨑裕之選手などの有名選手を獲得していました。
その中で阪神のブレイザー新監督の構想外となっていた田淵選手の獲得を目指したライオンズとショートを欲していた阪神との思惑が一致しトレード成立となったようです。

しかしショートの真弓選手だけでなく、捕手かつ主砲の田淵選手を放出するためその代わりに若菜捕手竹之内選手、更に投手も補強ポイントのため竹田投手を要求されるなど完全に阪神主導で交渉が進んだようです。
最終的にライオンズとしても1対4のトレードでは面子が保てないという事で古沢投手も獲得するという形で折り合いがつきました。

田淵選手はライオンズでは主に一塁手として起用され主砲として活躍し、1982年、1983年の日本一に大きく貢献しました。
一方の古沢投手は結果を残す事ができずトレードで広島に移籍しています。

阪神に移籍した若菜選手、竹之内選手も主力として活躍しました。
そして真弓選手は首位打者を獲得するなど長くレギュラーとして活躍し、球界を代表するショートに成長しています。

総括


さすがに当時の事は知らずネット等で見聞きした情報程度ですが、それでも阪神のスター選手が移籍するという球史に残る大型トレードだったと思いますし、西武ライオンズ初年度から当時監督だった根本氏が辣腕を振るったという印象です。

深夜にトレード通告されるなど阪神側の強引な進め方に涙を流した田淵選手ですが、リーグが変わっても主砲として活躍し優勝に貢献するなど、ライオンズにとっては非常に意義のあるトレードだったと思います。
その一方でライオンズとしても期待の若手だった真弓選手を放出しなければならなかった点は移籍後の活躍を見ても大きな痛手だったと思います。



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2002年トレード:東尾ライオンズの主砲を放出

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金銭トレード


2002年シーズンオフに鈴木健選手を金銭トレードでヤクルトに放出しました。

鈴木選手は石毛宏典選手のFA移籍によりレギュラーに定着すると、清原和博選手がFA移籍した1997年には4番に座り東尾監督のリーグ初優勝に貢献しました。
この年は鈴木選手最高出塁率、ベストナインを獲得しています。

その後も東尾監督時代の主軸として活躍しますが徐々に成績が下降していきます。
そして伊原監督が就任した2002年は打撃不振で出場機会を大きく減らすと、オフに戦力外となり金銭トレードで放出という流れとなりました。

すると2003年は新天地で復活を遂げ首位打者争いに加わるなど最終的に打率.317、20本塁打、キャリアハイとなる95打点、リーグ最多の36二塁打を記録して、ベストナインカムバック賞を受賞しました。
翌年もレギュラーとして活躍しますが故障の影響などで徐々に出場機会を減らし、2007年限りで引退となりました。

なお引退試合では代打で出場しファウルフライを放った際に村田修一選手がわざと捕球せず、最終的にセンター前ヒットを放った事でも話題となりました。

総括


移籍後に大活躍を見せた事でライオンズの戦力外という判断には疑問が残りました。
もちろん復活には指導法や球場の広さなどが影響した可能性もありライオンズに残留していても結果を残せたかは分かりませんが、黄金期終盤からこの時期までは功労者に対する見切りが早く、強引に戦力外やコーチ就任を進めていた印象があります。


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2001年トレード:2度の日本一に貢献した地元出身内野手を獲得

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1対1の交換トレード


2001年シーズン中にライオンズの谷中真二投手とタイガースの平尾博嗣選手のトレードが成立しました。

平尾選手は地元埼玉の大宮東高校から1993年ドラフト2位でタイガースに入団し、一定の出場機会は得たものの定位置獲得はなりませんでした。
更にライオンズ移籍直後の試合でフェンスに直撃し実戦復帰まで1年以上の大怪我を負ってしまいました。

それでも翌年シーズン終盤で復帰すると以降は内野全ポジションを守れるユーティリティプレイヤーとして活躍しました。
また長めの茶髪に明るい性格からチャラ尾の相性でファンからも親しまれました。

大舞台にも強く2004年の日本シリーズ第7戦ではダメ押しとなるホームランを放ちました。
そして2008年日本シリーズでは第6戦ではチームの全打点を叩き出し、第7戦では日本一を決める決勝タイムリーを放つ活躍で優秀選手賞を獲得しました。

その後もバイプレイヤーとして活躍しましたが出場機会の減った2012年限りで引退しています。

一方の谷中投手は1996年ドラフト3位でライオンズに入団しましたが目立った活躍をする事ができませんでした。
選手としてのプレイよりも松坂大輔投手入団1年目のキャンプで影武者となった事が話題となった事もありました。

タイガース移籍後は一定の出場機会を得たものの2004年にオリックス/楽天に移籍し、2008年からはライオンズに復帰しました。
しかし結果は残せず2010年限りで引退しています。

総括


獲得した平尾選手は2度の日本一に大きく貢献しただけに非常に意義のあるトレードだったと思います。
引退後も兄貴分的なコーチとして期待していただけに昨年末の不祥事での契約解除はとても残念に思いました。


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2010年トレード:ドラ1右腕と地元出身右腕のトレード

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1対1の交換トレード


2010年のオフにライオンズの大沼幸二投手とベイスターズの坂元弥太郎投手のトレードが成立しました。

坂元投手は2000年ドラフト4位でスワローズに入団しました。
地元埼玉の浦和学院高校出身で甲子園では当時の最多タイ記録となる1試合19奪三振を記録しました。
そのためドラフト時には獲得を熱望するライオンズファンも多く、スワローズよりも前に指名するチャンスもあった事を残念がる声もありました。

プロ入り後は2年目から1軍登板を果たし以降もリリーフとして起用されますが安定した成績は残せず、2008年に日本ハム、2010年に横浜にトレードとなりライオンズが4球団目の在籍となりました。

地元凱旋となった2011年には16試合に登板し防御率2点台を記録します。
しかし以降は結果を残せずに2013年限りで引退となりました。

一方の大沼投手は2000年ドラフト1位でライオンズに入団しました。
しかし先発やリリーフとして一定の登板機会を得たものの制球難などにより安定感を欠いていました。

移籍後も不安定さは続き防御率8点台に終わると、2012年は故障により登板機会の無いままシーズン中に引退となりました。

総括


地元出身でドラフト時の経緯から期待するファンも多かった坂元投手ですが、残念ながら活躍を見せる事ができませんでした。
そのためかドラフト1位ながらもライオンズリリーフ陣低迷期の象徴のようになっていた大沼投手を放出したトレードという印象の方が強くなっています。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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