ライオンズ振り返り

背番号47:サウスポーの番号として球界に定着させた黄金期の左腕エース

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期には工藤公康投手が着けていました。
黄金期の左腕エースとして先発ローテの中心として活躍しライオンズ在籍時にはシーズンMVP1回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回を獲得しています。
工藤投手の活躍により背番号47はサウスポーの番号として球界に定着しました。
しかし老朽化した球団設備の改善を訴えてたものの球団から良い返事が貰えなかった事から1994年オフにFA権を行使してダイエーに移籍してしまいました。

1995年にはドラフト5位入団の右腕である寺本比呂文投手に与えられました。
2年目に初セーブ、4年目には初勝利を挙げたものの故障もあり2001年限りで退団しました。

2002年からはドラフト自由獲得枠で獲得した細川亨選手が着けました。
打撃の弱さはあるものの強肩を武器に2004年には正捕手の座を獲得し、2006年からは背番号30に変更になりました。

2006年からは帆足和幸投手の背番号が47に変更になりました。
ローテーション左腕として二桁勝利を挙げる活躍を見せましたが2011年オフにFA権を行使してソフトバンクに移籍しています。

以降3年間は空き番でしたが2015年にはルブラン投手が着けました。
来日した際に偶然プロ野球選手だと知らなかったバラエティ番組の取材を受けた事で話題となりましたが開幕後はわずか2勝に終わりシーズン途中で自由契約となってしまいました。
ただし帰国後はMLBで一定の成績を残しただけにトノゲンの守備力があればもう少し日本でも勝てていたかもしれません。

2016年にはバンヘッケン投手が着けました。
韓国で20勝を挙げた実績はあったものの日本通用せず未勝利のままシーズン途中で自由契約となっています。

2017年にはシュリッター投手が着けました。
髭が特徴的な選手でツーシームを武器にセットアッパーとして32ホールドを挙げる活躍を見せましたが終盤戦は打たれるケースが増えたため1年限りで退団しています。

2018年からはカスティーヨ投手が着けました。
先発として一定の成績を残すと固定できていなかった抑えに転向しましたが肘の故障で離脱となってしまいました。
翌年も残留したものの肘の状態が回復せずシーズン途中で自由契約となりました。

2020年からはドラフト3位入団の松岡洸希投手が着けました。
入団当初は二軍でも不安定な投球が続いたものの徐々に結果を残し始めて更なる飛躍を期待されましたが2022年オフに現役ドラフトで日本ハムに移籍となってしまいました。


現役選手

2023年からはFA人的補償で獲得した張奕投手が着けています。
しかしセットアッパーとして期待されたものの故障で実戦から離れているため来季に向けて巻き返しを期待したいところです。




2006年の外国人選手:主砲が初の打点王に輝くも投手はツインタワーが機能せず

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投手成績


選手名 登 板 防御率 勝 利 敗 戦 ホールド セーブ 勝 率 投球回 与四死球 奪三振 WHIP
許銘傑 19 5.48 1 4 1
0 .200
42.2 19 26 1.48
張誌家 0 - - - - - - - - - -
ギッセル 18 3.96 6 4 0 0 .600 109.0 34 85 1.30
グラマン 13 4.26 4 6 0 0 .400 74.0 22 41 1.43

野手成績


選手名 試 合 打 率 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 四 球 三 振 出塁率 OPS
カブレラ 126 .315 147 31 100 68 115 .404
.968
リーファー 49 .252 36 13 32 0 13 35 .323 .924

総括


野手ではカブレラ選手が打撃好調で自身初の打点王に輝きました。
更に三冠王への期待も高まりましたが打率、本塁打は共に惜しくもリーグ2位となっています。

一方でこの年から加入したリーファー選手は不調と左腕が苦手という弱点もありファームでの調整が続きました。
しかし夏場に一軍復帰すると右腕先発時にはスタメンとして打線を牽引しました。

投手では新たに獲得したギッセル投手、グラマン投手ツインタワーが先発として期待されました。
しかしギッセル投手は5月のデビュー登板以来5連勝を飾ったものの尻つぼみとなり、更にグラマン投手も不安定な投球で夏場以降はファーム調整と期待に応えられませんでした。

また許投手も不振が続き結果を残せず、張投手は故障の影響で球速が全く戻らず一軍登板の無いままこの年限りで退団しています。

この年は外国人投手はあまり機能しなかったものの投打の若手が台頭した事もあり首位と1ゲーム差の2位となりましたがプレーオフで敗れ日本シリーズ進出を逃しています。


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ライオンズ育成指名のターニングポイントとなりそうな2020年ドラフト

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2020年育成指名


21日に豆田泰志投手が支配下登録されました。
これで2020年育成ドラフトで指名された5選手のうち4選手が支配下登録を勝ち取っています。

ルーキーイヤーの2021年5月には育成5位の水上由伸投手が支配下登録されました。
二軍でも結果を残せていなかったものの一軍に定着するとデビューからの連続無失点記録を更新し、昨年はセットアッパーとして最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。
今季は不調で再調整が続いたものの残り試合での巻き返しを期待したいです。

2年目の2022年7月上旬には育成2位の長谷川信哉選手が支配下登録を勝ち取りました。
この年は打率1割台に低迷したものの今年はプロ初本塁打を放つなど成長を見せています。
走力もあるだけに将来的にはリードオフマンとしての期待もかかります。

同年7月下旬には育成1位の赤上優人投手が支配下登録されました。
しかし二軍では安定した投球を披露していたもののシーズン最終盤までCS争いを繰り広げていたチーム事情から一軍登板はありませんでした。
更にオフに受けた手術の影響で今季はファームでも登板機会が少ないだけにまずは昨年の状態に戻したいところです。

そして育成4位の豆田泰志投手は今季フォーム改造を行なってから成績が大幅に良化しました。
球速以上に威力があり三振を奪える直球が魅力でまずはリリーフとして期待されるため、このまま結果を残して一軍デビューを飾って欲しいです。

一方で育成3位のジョセフ選手はスイッチ転向や内野にも挑戦していますがまだ結果を残せていません。
身体能力は高いだけに打撃面を向上させて来季以降の契約も勝ち取りたいところです。

ライオンズが育成指名に参加し始めた当初は指名人数も少なく全員が支配下登録されるのが既定路線という状況でした。
しかし徐々に育成選手の人数が増える中で2020年指名選手は全員が好成績を残して支配下登録を勝ち取ったというのが大きいと思います。
そしてこの流れは翌年に指名された滝澤夏央選手、古市尊選手の支配下登録にも繋がっています。

支配下登録を勝ち取った2022年育成選手達はまだ着実に成長を遂げている段階ですので、千賀投手、牧原選手、甲斐選手を輩出したソフトバンクの2010年育成ドラフトに匹敵するような成功例となって欲しいところです。
またこの年の支配下指名選手は佐々木健投手が一軍に定着しつつあるものの故障などで伸び悩んでいる選手も多いだけに育成指名選手達に負けないよう切磋琢磨しながら成長して欲しいです。


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各球団の駆け引きが松井選手の運命を左右した1993年ドラフト

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ドラフト3位入団


1993年ドラフトで中日が松井稼頭央選手を指名しようとしていたという記事がありました。

PL学園時代は投手だった松井選手は故障が多くプロからの評価は高くありませんでした。
その中で中日はショートとして高く評価していたものの下位でも指名できるという判断から4位での使命を予定していたようです。
しかし結果的には事前に全く情報が出ていなかったライオンズが3位で指名し中日としては狙っていた選手を逃す結果となりました。

中日に入団していた場合は立浪選手とのPL学園コンビで二遊間を組んだ可能性もあります。
しかしプロ入り後にスイッチヒッターに転向したのは当時の谷沢健一コーチのアドバイスによるものであり、また東尾修監督が我慢して起用した事でチームの主力に成長しました。

そのため中日ではトリプルスリーを獲得し、MLBに挑戦して日米通算2700安打以上を放ったスター選手にな慣れなかった可能性もあります。
それだけに松井選手にとっては自身の運命を大きく左右したドラフトになったと思いますし、今後のドラフトも他球団との駆け引きを制しつつライオンズで活躍できるような選手を指名して欲しいところです。


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背番号46:キャラクターも愛された逆輸入スラッガー

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歴代背番号


ライオンズの各背番号を背負った選手のうちプレーしていた記憶のある黄金時代以降の選手について思い出などを書いてみようと思います。

変遷


黄金期頃は目立った活躍を見せた選手は着けていなかったようです。

1998年には新外国人選手のカラーラ投手が着けました。
先発として期待されたものの結果を残せずリリーフ転向しましたが1年限りで退団しています。

1999年からはダイエーから移籍してきた木村恵二投手が着けました。
リリーフとして起用されたものの目立った成績は残せず2000年限りで退団しました。

2001年からはドラフト6位入団の野田浩輔選手に与えられました。
第三捕手として一定の出場機会を得ると2004年からは背番号22に変更されています。
引退後もチームに残り現在は一軍コーチを務めています。

2004年からはドラフト7巡目入団のG.G.佐藤選手が着けました。
法政大学卒業後マイナーリーグを経ての指名と異色の経歴の選手で、捕手として指名されたものの持ち前のパワーを活かして外野のレギュラーに定着し2008年の日本一にも貢献しました。
またお立ち台での個性的なヒーローインタビューなども人気を博した選手でした。
しかしマイナーリーグのシビアな環境を経験していたため毎年のように契約更改で揉めていた事も影響したのか、成績が下降すると2011年限りで自由契約となってしまいました。

2012年からは中崎雄太投手の背番号が変更されました。
ドラフト1位で入団したものの期待に応えられておらず、サイドスローに転向したものの結局未勝利のまま2016年限りで退団しています。


現役選手

2017年からはドラフト4位で入団した鈴木将平選手が着けています。
昨年はキャリアハイの成績を残したもののまだレギュラーに定着できていません。
バットコントロールなど素質は非常に良いだけにあと少し殻を破って主力選手に成長してくれる事を期待しています。




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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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