FA/ポスティング史

2008年ポスティング:2度のポスティング申請も移籍成立せず

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ポスティングの歴史


1998年にポスティング制度が導入されました。
選手の権利ではなく球団主導の制度ではありますが、他球団と比べてライオンズからは多くの選手がポスティングを利用してのMLB挑戦を目指しています。

三井浩二投手


2008年オフに三井浩二投手がポスティング申請を行いました。

三井投手は2000年ライオンズを逆指名しドラフト2位で入団しました。
2002年と2003年は先発にリリーフにとフル稼働して二桁勝利を挙げると、2006年と2007年にはリリーフとして40試合以上に登板し20H以上を挙げるなどの活躍を見せています。
しかし2008年は不振に落ち入り防御率7点台に終わっていました。

それでも2006年に出場した日米野球で好投を見せたことからメジャー挑戦への想いに火がつきポスティングでの移籍志願に繋がったようです。
しかし期限までに入札を行う球団は現れず、年が明けた2009年1月に再度ポスティング申請を行いましたがやはり入札球団は現れずライオンズと再契約を結びました。
結果として史上初の同一年度に2度ポスティング申請を行った選手、更に2回続けて入札の無かった選手となってしまいました。

残留した2009年も状態は上向かず防御率6点台に終わるとオフに自由契約となり、他球団のテストを受けるも獲得には至らなかったためその年限りで引退しています。

総括


主にリリーフとして活躍した貴重なサウスポーではありましたが、ポスティング申請年に不振に陥った事に加え、何よりも35歳という年齢がネックとなりました。
球団としても高額の入札金は見込めなかったと思いますが、チームを支えた功労者に報いるために希望通りポスティングを認めた形だったと思います。


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2007年FA:FAだけでなく人的補償でも主力外野手が流出

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FA移籍の歴史


1993年にFA制度が導入され以降多くの選手がライオンズから移籍しています。
そこで各年のライオンズに関わるFA移籍を振り返ってみたいと思います。
2007年は1選手がライオンズから移籍し、1選手を獲得しました。

和田一浩選手


外野手転向後は主に5番として活躍した和田選手ですがシーズンによっては打点の少なさや併殺打の多さなどで評価が低い年もありました。
その点も影響したのかFA権を行使し出身地岐阜に近いドラゴンズに移籍しました。
移籍後もドラゴンズの主軸打者として活躍し2010年にはシーズンMVPを獲得しています。
そして2015年に2000本安打を達成するとその年限りで引退しています。

和田選手移籍による人的補償としてライオンズ岡本真也投手を獲得しました。
同年まで5年連続で40試合以上に登板しており、ライオンズでも安定していなかったリリーフ陣を支える活躍を期待されました。
2008年は防御率は悪化したもののチーム2位のホールド数を記録するなど期待通りの活躍を見せてリーグ優勝に貢献しました。
しかし2009年は衰えからか打ち込まれるケースが増えたためシーズン中盤に登録抹消になるとオフには戦力外となりました。

石井一久投手


新たな環境を求めて石井投手がFA権を行使する先発投手にも不安を抱えていたライオンズが獲得に動き入団に合意しました。
2008年は11勝を挙げるなどの活躍を見せ以降も先発として活躍しました。
しかし2013年は故障などで不調に陥り未勝利に終わるとこの年限りで引退しています。
引退セレモニーでは球場をセグウェイで走るなどらしさを発揮していました。

そして人的補償として福地寿樹選手がスワローズに移籍しました。
同年は準レギュラーとして28盗塁を記録する活躍を見せていたためプロテクトから外れていた事は意外に感じました。
スワローズ移籍後はレギュラーに定着して2年連続で盗塁王を獲得するなどの結果を残し、2012年限りで引退しています。

総括


和田選手の移籍は戦力面では大きな痛手でしたが地元に戻るという事で理解はできました。
一方で石井投手の獲得は戦力補強にはなったもののその後の主力選手の移籍にも影響し、また人的補償で福地選手が流出する結果にもなってしまいました。
チームの生え抜き選手を優先したのかスワローズの補強ポイントではないと判断したのか分かりませんが福地選手がなぜプロテクトから外れたのかは未だに疑問に思っています。


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2006年ポスティング:平成の怪物が破格の入札額でMLBに移籍

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ポスティングの歴史


1998年にポスティング制度が導入されました。
選手の権利ではなく球団主導の制度ではありますが、他球団と比べてライオンズからは多くの選手がポスティングを利用してのMLB挑戦を目指しています。

松坂大輔投手


2006年オフに松坂大輔投手がレッドソックスに移籍しました。
入札額は5111万1111ドル11セントという当時の最高額となっています。
半端な金額となっているのは他球団と僅差の争いになった場合に少しでも上回ろうという思惑と、1並びで話題作りという意味合いもあったようです。

平成の怪物の異名を持つ松坂投手は入団1年目から最多勝を獲得するなどライオンズのエース格として活躍するだけでなく、2006年に開催された第1回WBCでMVPを獲得するなど日本のエースとしても活躍していました。

移籍初年度の2007年には17勝を挙げチームのワールドシリーズ制覇に貢献すると、翌2008年も18勝を挙げる活躍を見せました。
しかし2009年は第2回WBCで2大会連続のMVPを獲得したものの股関節の故障などもありわずか4勝に終わってしまいました。
翌年も9勝に留まると2011年シーズン中にトミージョン手術を受け、2012年に復帰したものの結果を残せずフリーエージェントとなりました。

2013年はインディアンス傘下を経てメッツと契約し2014年はリリーフとして起用されました。
2015年からはホークスに移籍して日本球界に復帰すると、2018年にはドラゴンズに移籍し2020年からはライオンズに復帰しています。

総括


MLB移籍後の2年間は好成績を残し、2年目に挙げた18勝は現時点で歴代日本人メジャーリーガーの中での最多勝記録となっています。
しかし与四球が多く数字ほどの安定感を感じさせなかった事と3年目以降は故障などで低迷したため、破格の金額に見合った成績を残せたとは言えず、現地のレッドソックスファンの印象も良くないようです。
また日本復帰後の稼働率が低くプロ野球ファンの印象も良くはないのも残念ですので、今シーズンはなんとか復活して1軍のマウンドに帰ってきて欲しいです。

ライオンズやファンとしてはエースの移籍はやはり大きな痛手でした。
しかしMLBへの挑戦を応援したいという気持ちや、FA移籍では球団に入札金などは入ってこない事から、ポスティング移籍に対しネガティブな意見はあまり無かったように思います。
そして松坂投手が破格の入札金を残してくれた事で球場施設の改修工事も行われました。
更に先発ローテーションの穴を埋めるために現役メジャーリーガーのジェイソン・ジョンソン投手を年俸3億5千万で獲得しますが、こちらは結果を残せず1年で退団となっています。
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2005年FA:守護神の流出と初の人的補償獲得

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FA移籍の歴史


1993年にFA制度が導入され以降多くの選手がライオンズから移籍しています。
そこで各年のライオンズに関わるFA移籍を振り返ってみたいと思います。
2005年は1選手がライオンズから移籍しました。

豊田清投手


2002年と2003年は守護神として抜群の安定感を誇った豊田清投手ですが、2004年と2005年は故障などで不本意な成績に終わると、オフにFA権を行使してジャイアンツに移籍しました。
ジャイアンツでも抑えとして期待されていましたが、シーズン途中から救援失敗が続くようになると中継ぎに配置転換されました。
その後はセットアッパーとして一定の活躍を見せていましたが、2010年は精彩を欠く投球が続くとオフに自由契約になりカープに移籍しました。
2011年はまずまずの結果を残しカープからは契約延長の打診を受けたようですが、結局その年限りで引退となりました。

豊田投手の人的補償としてライオンズは江藤智選手を獲得しました。
ライオンズとして初の人的補償獲得選手であり、FA権を行使して他球団に移籍した選手がその後人的補償となった初めてのケースとなりました。
ベテランでピークを過ぎた感はありましたが当時は若手が多かったため精神的支柱としての獲得の意味合いもあったようです。
ライオンズでは代打や左投手先発時のスタメンとして渋い働きを見せましたが、2009年に不振に陥るとその年限りで引退しています。

総括


​故障の影響で豊田投手は残留していても安定した結果は残せなかったかもしれません。
しかしこの年は森慎二投手もポスティングでMLBに移籍しており、長くチームを支えたダブルストッパーが同時に移籍した事で、以降のライオンズはリリーフで苦しむ事になります。

一方で獲得した江藤選手は残した成績的には満足のいくものではありませんでした。
しかし経験豊富なベテランとして若手野手に与えた影響は大きかったのではと思っています。


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2005年ポスティング:MLB挑戦を果たした剛腕を襲った悲劇

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ポスティングの歴史


1998年にポスティング制度が導入されました。
選手の権利ではなく球団主導の制度ではありますが、他球団と比べてライオンズからは多くの選手がポスティングを利用してのMLB挑戦を目指しています。

森慎二投手


2005年オフに森慎二投手がタンパベイ・デビルレイズ(当時)に移籍しました。
ライオンズからポスティングを利用してMLB移籍を果たした初の選手となっています。

森投手は入団1年目から1軍に定着し、好不調の波が激しいながらも威力のあるストレートと落差の大きいフォークを武器に高い奪三振率を誇るリリーフとしてチームを支えました。
当時は森投手のボールがどこまで通用するのか楽しみだったと同時に、個人的に応援しているデビルレイズへの入団という事で非常に嬉しく思った記憶があります。

しかし憧れのMLBのマウンドでは悲劇が待っていました。
翌2006年のオープン戦で初登板を果たしますが、3球目を投げた時点で右肩を押さえてうずくまりそのまま交代となってしまいます。
診断の結果右肩の脱臼で全治1年という重症で、結局MLB公式戦登板を果たせないまま翌2007年シーズン中に退団となってしまいました。

退団後はBCリーグ石川に選手兼任コーチとして入団、後に兼任監督となり2013年には実戦復帰を果たしています。
2015年にはライオンズの投手コーチとして復帰しましたが、2017年シーズン中に突然の病で急逝されました。

激動の野球人生でしたが万全の状態であればMLBでも並み居る強打者から三振を奪う姿を見せてくれたと思いますので、突然の故障が本当に無念でならなかったMLB挑戦でした。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。