ドラフト史

2001年ドラフト:ライオンズの骨と牙を獲得した少数精鋭ドラフト

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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は2001年のドラフトです。

自由獲得枠:細川亨選手(背番号47)


長く正捕手を務めた伊東勤選手の後継者に悩まされていたチーム事情もあり、次世代の正捕手候補として獲得しました。
入団2年目から出場機会を増やすと以降は強肩と堅守を武器に正捕手の座を掴み取り、ライオンズ在籍時にはベストナインゴールデングラブ賞を1度ずつ獲得しています。
反面打撃は弱かったものの長打力は持ち合わせており、確実性を高めるためにバスター打法を取り入れたところホームランが増えたという年もありました。

しかしライバルとなる炭谷銀仁朗選手が台頭した事もあり2010年オフにFA権を行使するとソフトバンクに移籍しました。
楽天、ロッテを経て2020年限りで引退した後は新設された九州アジアリーグに所属する火の国サラマンダーズの監督を務めています。

通算1軍成績:1428試合620安打84本塁打367打点8盗塁 打率.203


3巡目:中村剛也選手(背番号60)

主砲候補として期待され2005年には22本塁打を放ちますが以降は伸び悩みます。
しかし2008年についに覚醒を果たすと以降は本塁打王6回、打点王4回、ベストナイン7回を獲得しています。
更にNPB通算満塁本塁打記録も更新し続けておりライオンズだけでなく球史に残るレジェンド選手となりました。

過去のインタビューで好きな言葉として答えた事からファンからはおかわりくんの相性で親しまれ、チームメイトなどからはサンペイと呼ばれています。
ベテランとなり成績が下降した年もあるもののその度に復活を遂げ、今年もチームの主砲としてチームを牽引しています。
今後もホームランを積み重ねてホームラン談話での「打てて良かったです」というコメントを何度も聞かせて欲しいです。

通算1軍成績:1834試合1610安打435本塁打1254打点43盗塁 打率.256 (2021/9/6時点)


4巡目:栗山巧選手(背番号52)


俊足巧打の外野手として期待され2004年にプロ初安打を放つと、翌年以降は巧みなバットコントロールと抜群の選球眼を武器にレギュラーに定着しました。
これまでに最多安打1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞1回を獲得しています。
そして2021年9月4日の楽天戦で9回にヒットを放ち、ライオンズ生え抜き初となる通算2000本安打を達成しました。

またプレー面以外でも非常に練習熱心な選手ですし、キャプテンとしてもチームを長く引っ張ってきました。
キャプテンを退いた今でもチームの精神的支柱になっていると思っています。
今後もライオンズ史上最高のヒットメーカーとしてヒットを積み重ねてチームを牽引してくれる事を期待しています。

通算1軍成績:2042試合2002安打117本塁打840打点83盗塁 打率.281 (2021/9/6時点)

5巡目:竹内和也投手(背番号63)


投手は近江高校のチームメイトだった左腕の島脇投手の指名を目指していたようですが先にオリックスに指名されたため竹内投手を指名しました。
この年の甲子園で準優勝を果たした近江高校の選手の指名に拘った背景には、滋賀県出身だった当時の堤オーナーの意向が働いたという噂もありました。
入団後は1軍出場の無いまま2004年に限りで引退しています。

通算1軍成績:出場なし

総括


​4名のみ指名という少数精鋭でしたが3選手がレギュラーに定着した事から大成功のドラフトだったと思います。
特に中村選手、栗山選手は生涯ライオンズを貫き今でもライオンズの骨と牙として主力で活躍しています。
同学年の両選手が揃ったからこそ刺激を与えあって長く現役を続けられている面もあると思いますので、その点でも非常に良い指名だったと思っています。


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2006年高校生ドラフト:野手転向した地元出身右腕

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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は2006年の高校生ドラフトです。

1巡目:木村文和投手(背番号41)


まず地元埼玉の鷺宮高校の増渕投手を指名しましたがヤクルトと競合し抽選を外しました。
そこで次に指名したのがやはり地元の埼玉栄高校の木村投手でした。

渡辺久信投手の着けていた背番号41が与えられるなど大きな期待を受け、2011年にはプロ初勝利を挙げるなど順調に成長していきます。
しかし腰痛の影響で投手は難しいとの判断から2012年途中で野手に転向しました。

2014年に初めて1軍に定着し初の二桁本塁打を放つと、以降は打率は低いものの意外性のある打撃と投手出身ならではの強肩を武器にレギュラー級の選手として活躍を続けていました。
しかし今シーズン途中に突然の電撃トレードで日本ハムに移籍しています。

通算1軍投手成績:41試合1勝4敗1H0S 防御率5.60
通算1軍野手成績:629試合296安打39本塁打138打点53盗塁 打率.219(2020年終了時点)


3巡目:朱大衛投手(背番号62)

中国籍ですが日本の学校を卒業したためドラフト対象となった選手でした。
しかし1軍出場は果たせず2011年限りで退団し地元中国のチームに移籍しました。
なお2009年、2013年にはWBC中国代表に選ばれています。

通算1軍成績:出場なし

総括


木村選手は地元出身でスケール感の大きい投手だっただけに野手転向は残念でした。
しかしそこから野手として主力に定着できた裏には相当の努力があったのだと思います。
大事な場面での印象的な活躍も多く思い入れを感じる選手でしたし、やはり突然のトレード発表はとてもショックが大きかったです。


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2007年高校生ドラフト:不正スカウト問題で上位指名権剥奪

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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は2007年の高校生ドラフトです。

4巡目:武隈祥太投手(背番号48)


この年のライオンズは不正スカウト問題で高校生ドラフト上位2選手の指名権が剥奪されたため、4巡目の武隈投手が最上位指名となりました。

プロ入り後はなかなか結果を残せませんでしたが2014年に1軍に定着すると、以降は貴重なリリーフ左腕として活躍しました。
勤続疲労や故障の影響などで2018年から成績が下降していましたが、今シーズンは復活を遂げてリリーフとして欠かせない存在となっています。

通算1軍成績:319試合21勝13敗59H1S 防御率4.00 (2020年終了時点)


5巡目:梅田尚通選手(背番号67)

他球団の上位指名候補にも挙がっていたスラッガーだったため、ドラフト当時は5巡目で指名できたのは想定外でした。
プロ入り後は壁にぶつかり6年間は1軍出場を果たせませんでしたが、2014年に初昇格を勝ち取るとプロ初本塁打を満塁ホームランで飾るという史上2人目の快挙を成し遂げました。
しかし翌年は1軍昇格を果たせず2015年限りで引退しています。

通算1軍成績:4試合2安打1本塁打4打点0盗塁 打率.182


6巡目:中田祥多選手(背番号64)

評価の高かった捕手でしたが3年時の故障の影響で下位指名となりました。
プロ入り後は1軍出場を果たせないまま故障の影響で2011年オフに一旦育成契約となりますが、翌2012年シーズン中に支配下に復帰すると念願の1軍出場を果たしています。
そして2019年にはプロ初安打を放ちましたが、プロ入り12年目での初安打は野手として入団した選手では最も遅い記録となりました。
そのオフに引退し現在はライオンズのブルペン捕手を務めています。

通算1軍成績:12試合2安打0本塁打0打点0盗塁 打率.050


7巡目:斉藤彰吾選手(背番号65)

地元埼玉出身の俊足巧打の外野手でした。

2010年のフレッシュオールスターでは優秀選手賞を獲得しています。
その後は主に代打や代走要員としてチームを支える活躍を見せ2019年限りで引退しています。

通算1軍成績:392試合79安打5本塁打24打点27盗塁 打率.223

総括


不正スカウト問題で上位指名権が剥奪されましたが武隈投手は主力として現在でも現役を続けており、斉藤選手もスーパーサブとして活躍するなど一定の結果を残せたドラフトでした。
なおこの年の1巡目は佐藤由規投手、中田翔選手、唐川侑己投手のBIG3に指名が集中しましたが仮にライオンズも1巡目から参加できていた場合は唐川投手を指名予定だったようです。

なお不正スカウト問題を受けてライオンズは内部調査を行い過去に裏金、謝礼金が渡されていた件数を公表しました。
更にライオンズ憲章が制定されるなどコンプライアンス強化が打ち出されるきっかけとなった問題となっています。


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1982年ドラフト:即戦力左腕の抽選を引き当てるも結果を残せず

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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1982年のドラフトです。

1位:野口裕美投手(背番号14)


3球団競合の末にライオンズが交渉権を獲得しました。

立教大学時代は当時東京六大学歴代2位となるシーズン96三振を記録するなど即戦力左腕として期待されました。

しかし1年目は僅か3試合の登板に留まると以降も故障などで結果を残せず未勝利のまま1988年限りで引退しています。

通算1軍成績:5試合0勝0敗-H0S 防御率5.11


2位:笘篠誠治選手(背番号40)

入団4年目から1軍に定着するとレフトの準レギュラーや辻発彦選手欠場時のセカンドなど内外野守れるユーティリティプレイヤーとして活躍しました。

1997年限りで引退した後はライオンズを含めた複数球団でコーチを歴任しました。

通算1軍成績:884試合381安打18本塁打121打点9盗塁 打率.256

3位:石井毅投手(背番号32)


アンダースローの投手で入団4年目にはキャリアハイの32試合に登板しましたが、故障などもあり以降は結果を残せず1988年限りで引退しています。

通算1軍成績:85試合8勝4敗-H4S 防御率3.63

4位:村井一男投手(背番号57)


サイドスローの投手でしたが1軍出場を果たせないまま1987年シーズン中にトレードで中日に移籍しました。
しかし中日でも1軍出場する事なく同年限りで引退しています。

通算1軍成績:出場なし

5位:成田幸洋投手(背番号33)


アンダースローの投手だったようですが結果を残せないまま1989年オフに大洋にトレードになりました。
しかしやはり結果を出せずに1軍未勝利のまま1991年限りで引退しています。

通算1軍成績:27試合6勝13敗-H1S 防御率4.33

6位:後藤明美投手(背番号68)


高卒右腕でしたが1軍出場の無いまま1990年限りで引退しています。

通算1軍成績:出場なし

総括


​1位は野口投手の獲得に成功したものの期待通りの活躍はできませんでした。
また笘篠選手はユーティリティプレイヤーとして活躍したものの他の選手は1軍で結果を残せておらずプレーを見た事も無いため印象の薄いドラフトとなっています。


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1985年ドラフト:甲子園を沸かせたKKコンビドラフト

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過去のライオンズドラフトの思い出を振り返ってみようかと思います。
今回は1985年のドラフトです。

1位:清原和博選手(背番号3)


甲子園に5度出場したスター選手で6球団競合の末に交渉権を獲得しました。
清原選手自身は巨人への入団を熱望していましたが球団間の駆け引きの末に巨人はチームメイトの桑田投手を指名し、指名後の会見では涙を浮かべていました。
仮に巨人が清原選手を指名していた場合はライオンズが交渉権を獲得していても入団拒否となっていたかもしれません。

1年目から期待に違わぬ活躍を見せて2020年時点で新人最多本塁打タイ記録となる31本塁打を放ち新人王を獲得しました。
その後も黄金期の不動の4番として活躍し主要打撃タイトルの獲得はならなかったものの最高出塁率2回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回を獲得しています。

1996年オフにはFA権を行使して憧れだった巨人に移籍、2006年からはオリックスに移籍しましたが2008年限りで引退しています。

なお196死球、1955三振は2020年時点でNPB最多記録となっています。


通算1軍成績:2338試合2122安打525本塁打1530打点59盗塁 打率.272


2位:山野和明選手(背番号56)

俊足強肩の高卒外野手でしたが結果を残せず1995年オフに中日に移籍します。
しかし移籍後も出場機会を得られずに1997年限りで引退しています。

通算1軍成績:60試合17安打0本塁打2打点8盗塁 打率.230

3位:原口哲也投手(背番号64)


地元埼玉出身でプロ3年目に初勝利を挙げますが以降は出場機会を得られず1993年オフに自由契約となりダイエーに移籍します。
しかし移籍後は1軍出場を果たせず1994年限りで引退しています。

通算1軍成績:28試合1勝3敗-H0S 防御率5.11

4位:森博幸選手(背番号75)


社会人屈指のスラッガーでしたがポジションの被る清原選手が指名されたため、一旦は社会人チームに残留した上で1年遅れの入団となりました。
入団後は黄金期の厚い選手層に阻まれて代打での起用が多かったものの清原選手の欠場時には代わりにクリーンアップを打つ事もありました。
1996年には放った打球がホームランか2塁打か審判で協議した結果、間を取って3塁打と判定された事もありました。





1997年に引退した後は2007年から2010年までライオンズでコーチを務めました。

通算1軍成績:374試合155安打15本塁打80打点2盗塁 打率.275

5位:岡田展和投手(背番号65)


入団4年目に初勝利を挙げたものの出場機会を得る事ができずに1991年オフにトレードで巨人に移籍しました。
移籍後は徐々に頭角を現しリリーフ陣の一角としてチームを支えました。
しかし1999年オフに自由契約となり横浜に移籍し、2001年限りで引退しています。

通算1軍成績:215試合8勝8敗-H4S 防御率4.24

6位:横田久則投手(背番号66)


高卒ながら入団2年目で5勝を挙げる活躍を見せます。
その後は故障続きで低迷しますが1995年に就任した東尾監督に先発として起用され1995年と1998年には6勝を挙げています。
独自に開発したヨコボールという変化球を武器としていました。

2001年からはロッテ、2002年からは阪神に移籍し、2003年は台湾リーグでプレーし最多勝のタイトルを獲得しています。
引退後は2012年からライオンズのコーチや二軍監督を務め、2017年からはファームディレクターを務めています。

通算1軍成績:130試合26勝43敗-H0S 防御率3.57(NPBのみ)

総括


​やはり清原選手の獲得に成功した事に尽きる年です。
主要タイトルを獲得できていないため若手時代の育成等が問われる事もありますが、それでもNPB歴代5位のホームランを放っています。
また時には繋ぎの打撃を見せるなど黄金期の4番として欠かせない選手でした。

また森選手は地味ながらも貴重なサブとして活躍しました。
しかし横田投手は長くローテーション投手として活躍してくれる可能性もあっただけに、プロ野球人生に影響を及ぼした故障が残念でした。


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。