思い出の選手

思い出の選手:1年目から活躍を見せた準硬式出身右腕

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現投手コーチ


青木勇人投手は同志社大学から​1999年ドラフト6位で入団しました。
高山久打撃コーチ大島裕行、後藤光貴両スカウトが同期入団です。

下位指名の準硬式出身投手という事で当面はファーム育成になると思っていました。
しかし1年目から1軍で17試合に登板し防御率2点台とまずまずの成績を残しました。

そして2001年には46試合に登板しプロ初勝利を含む4勝を挙げる活躍を見せました。
さらに2002年も36試合に登板し1軍のリリーフとして定着しました。

しかし2003年の近鉄戦で中村選手に死球を与えた事で激昂したローズ選手に突き飛ばされて鞭打ちとなってしまいまし。
以降は投球に精細を欠き2006年に広島にトレードとなってしまいました。
なおこの時に交換要員として獲得した福地寿樹選手はライオンズで才能を開花させてリードオフマンとして活躍しました。

引退後は広島でのコーチ経験を経て2021年からライオンズで投手コーチを務めています。

準硬式出身ながらも早々に1軍に定着した事で強く印象に残っている選手です。
特にルーキーイヤーのオープン戦で投手交代のアナウンスで名前が告げられた際にはとても驚いた記憶があります。

現在のチームには同じく準硬式出身の大曲錬投手が在籍しています。
2年目の今季は若干伸び悩み気味ですが同じ準硬式出身のコーチから学べる事は多いと思いますのでチームの主力に成長してくれる事を期待しています。

通算成績:210試合 9勝6敗22H1S 防御率4.16


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思い出の選手:ゴールデンルーキーの影武者に起用された右腕

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リリーフ投手


谷中真二投手は小西酒造から​1996年ドラフト3位で入団しました。
ドラフト当日は酒造工場で働きながら指名を待つ映像が流れていました。

プロ入り後は主にリリーフとして起用されました。
しかし一番最初に谷中投手の名前が大々的に注目されたのは1999年の春季キャンプではないかと思います。

この年は松坂大輔投手のルーキーイヤーでキャンプ地には大勢のファンやマスコミが押し寄せていました。
球団は混乱を避けるために体型が似ている谷中投手に松坂投手のユニフォームを着せて影武者を演じさせました。

大注目のルーキーとは言え歳下の選手の身代わりとなった事に奮起したのか、翌年には入団以来最多の32試合に登板する活躍を見せました。
しかし2001年には1軍登板の無いままシーズン中に平尾博嗣選手とのトレードで阪神に移籍しました。

その後はオリックス、楽天を経て2008年からはライオンズに復帰しました。
同年は敗戦処理ながらも日本シリーズに登板しています。

2010年限りで引退しましたが影武者騒動だけでなく2度ライオンズに在籍した選手としても印象に残っています。

通算成績:243試合 21勝25敗2H0S 防御率4.55


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思い出の選手:日本シリーズでサプライズ起用された未完のスラッガー

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スタメン起用


山田潤選手​1993年にライオンズを逆指名してドラフト2位で入団しました。
在籍していた朝日大学からは初のプロ野球選手となりましたが首位打者3回と三冠王を獲得した実績を買われての指名となりました。

主砲候補と期待されながらも入団後3年間は1試合の出場のみで無安打に終わりました。
しかし4年目となる1997年に野球ファンからの注目を浴びる事となります。

この年も終盤戦で3試合に出場したのみで5打数2安打という成績でしたがプロ初ホームランを放っています。
するとその勢いを買ったのか東尾監督はヤクルトとの日本シリーズ初戦で山田選手をスタメンに抜擢し7番レフトで起用しました。
しかし相手先発が石井一久投手だったため左腕対策としての起用でしたが格の違いを見せつけられて抑え込まれてしまいチームも試合に敗れました。
試合後にはヤクルトの野村監督に経験の浅い選手をスタメン起用してくれて助かったと名指しでコメントされてしまう結果となってしまいました。

結局翌年は1軍出場が無くオフには広島にトレードとなりました。
1999年には自己最多の21試合に出場したものの2000年限りで退団しています。

期待されての入団でしたが日本シリーズで命運が変わってしまったように思えます。
起用自体は悪くなかったと思いますが相手が百戦錬磨の野村監督だったというのが不運であり野球人生を左右されてしまったのではと思ってしまいます。

通算成績:30試合 47打数 10安打 1本塁打 3打点 0盗塁 打率.213


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思い出の選手:チームのシーズン200盗塁目を決めた控え捕手

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トレード加入


今久留主成幸選手清原和博選手桑田真澄投手のPL学園の同級生で高校時代は控えながらも甲子園に出場しています。
その後は明治大学を経て1989年ドラフト4位で大洋に入団しました。
しかし出場機会に恵まれず1995年途中に金銭トレードでライオンズに加入しています。

そして1997年には控え捕手として自己最多の14試合に出場しました。
この年は東尾監督の下でHit!Foot!Get!のキャッチフレーズを体現した攻撃でチーム200盗塁を記録しリーグ制覇を成し遂げましたが、その200盗塁目を決めたのが今久留主選手でた。
ライオンズでの1軍出場はこの年のみでしたが決して俊足では無い今久留主選手がチームの大記録を達成したという事で強く印象に残っています。

なお珍しい名字ですが親類である今久留主淳選手、今久留主功選手は1950年代にプロ野球選手として活躍しています。
また実兄は高校野球の監督を務めるなど野球一族であるようです。

通算成績:23試合 14打数 3安打 0本塁打 3打点 2盗塁 打率.214


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ライオンズファン歴35年。ブログでライオンズに関する記事を書いています。
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